校長ブログ
2学期始業礼拝(1〜5年)
2016年8月29日(月)1年〜5年 2学期始業礼拝
讃美歌 494 わがゆくみちいついかに
聖書 マタイによる福音書21章33節〜46節
お話 「100億の祈り」
祈り
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
夏休みが始まる直前の7月22日に、学園史料室から数枚の写真と1枚の新聞のコピーが届けられました。
5月27日は、アメリカのオバマ大統領が現職の大統領として初めて被爆地広島を訪れた歴史に残る日となりました。オバマ大統領は、夕方の5時39分、原爆死没者慰霊碑に花を捧げ、「核なき世界」の実現に向けての17分のメッセージを広島から世界に発信しました。それに先立って大統領は、広島到着後すぐに、原爆資料館を見学しました。その時、アクリルケースの中に入っていた折り鶴に、関心を示したそうです。大統領は、「実は折り鶴を持ってきました。」「少し手伝ってもらったけれど、わたしが作りました。」と4羽の折り鶴を資料館に寄贈しました。(2016年5月29日 朝日新聞)。
学園史料室から、届けられたのはこの折り鶴の写真です。送り主は、昔から恵泉女学園を支えてくださっている広島在住の方です。写真に「恵泉の生徒さんに是非、折り鶴を見せて下さい」という添え書きがありました。
私も折り鶴を作って見ました。1枚の正方形の紙から1羽の折り鶴を作るために、折り紙を19回折りました。紙を折っている時に、「折る」とは、「祈る」ことに通じるのかもしれないと思いました。私たちは、イエス様を通して、祈りを捧げますが、折り鶴を折る人は、その方の信じている崇高な対象に対して祈っているのではないでしょうか。
原爆資料館のアクリルケースに入っていた折り鶴は、佐々木禎子さんが作ったものです。禎子さんは、平和記念公園に立つ「原爆の子の像」のモデルとなった方です。2歳の時、爆心地から1.6km離れた自宅で被爆しました。小学校6年生の時に、白血病と診断されました。鶴を千羽折ると願いが叶うという言い伝えを信じ、生きることへの願いを薬の包み紙などで折り鶴に託し、折り続けました。そして、闘病の末に12歳で亡くなりました。現在、平和公園に捧げられる千羽鶴は、平和への祈りとなって、継承されています。禎子さんと折り鶴の事は、本になりアメリカでも出版されました。
原爆投下を決定した当時のアメリカ大統領は、トルーマン大統領です。トルーマン大統領の孫にあたる方が、禎子さんの本を知って、「祖父は誇りだが、原爆による被害の悲惨さも事実だ。孫の自分こそが、それを語る役目がある。」と決意し、2012年8月に初来日しました。広島の平和記念式典に参加して、被爆者の方とお会いし、被爆者の方々からオバマ大統領に被爆者の方との面会を促す手紙を託されたそうです(同28日 朝日新聞)。おそらくその手紙に、折り鶴とその意味が添えられていたのではないでしょうか。
今日与えられた聖書箇所は、「ぶどう園と農夫」のお話です。
このたとえは、農場主は、神様を、ぶどう園を借りた農夫は、ユダヤ人の宗教指導者たち、収穫のときに主人から遣わされたしもべは、預言者たちをたとえています。旧約時代に神様が遣わした預言者たちは、イスラエルの指導者から迫害され、民衆は、彼らの語ることに耳を貸そうとはしませんでした。反対に、「農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した」のでした。
農場主は、最後に自分の息子を送ります。ところが、「農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺して」しまうのです。この息子は、救い主イエス様です。イエス様の身の上に起こることを、イエス様自身が預言しています。41節では、宗教指導者は、農夫を「悪人ども」と言い、自分たちのことだとまるで気がつきません。結局、ぶどう園の管理は別の農夫である「異邦人たち」に伝えられることになります。
イエス様は、旧約聖書詩篇118編22,23節を語ります。ユダヤ人よって捨てられた石が、神の国の新しいかなめ石となるという、預言です。そして事実、この言葉は、イエス様の十字架の死と復活を通して、この世界に現実となるのです。
オバマ大統領の折り鶴の写真を送ってくださった方は、広島流川(ながれかわ)教会の教会員の方です。新聞のコピーは、流川教会に関する記事でした(2015年4月17日 毎日新聞)。記事の要約はこのようになります。
流川教会は、爆心地から800mの距離があり、原爆によって、外壁の一部を残して崩壊しました。現在は、新しい建物になっていますが、礼拝堂には、被爆して黒焦げとなった、がれきの下に埋もれていた木材で作られた縦2m、横1.2mの十字架があります。広島、長崎に原爆が落とされた8月に、同様に焼け残った鐘を鳴らして、恒久平和を祈る礼拝が開かれています。」
新聞の切り抜きの上部の余白には、このように書かれています。「わたしたちの教会は、これからもずっと毎週の礼拝にこの被爆十字架を見上げつつ、平和への祈りを捧げていきたいと願っています。被爆十字架は、
1)被爆死没者を含む、あらゆる戦争の犠牲者追悼のシンボルとして
2)罪の謝罪と罪の贖いのシンボルとして
3)和解と平和の祈りを求めるシンボルとして
教会に置かれています。」
原爆で亡くなった被爆者の名前や死亡時の年齢などを記した原爆死没者名簿というのがあります。広島では、30万524名(2016年8月3日)、長崎では、16万8767名(2016年5月26日)にものぼります。また、全国の被爆者数(被爆者健康手帳所持者数)は、17万4080人、平均年齢は、80.86歳(2016年3月末現在)となり、被爆者の方の生きた声が次第に力を失ってきています。その方々は、核兵器廃絶と恒久平和は「広島・長崎の過去の問題」ではなく、「世界が直面している問題」であることを知ってほしいと、若い世代に希望と期待を託しています。
農園を任された農夫たちが、自分たちの利益のみを求めて、正当な権利を持つ人々を追い出し虐げた結果、農場主がきちんと管理できる他の農夫たちに農園を預けたように、「季節ごとに収穫を収めることのできる」働き人になるように、あなたがたは期待されています。恵泉女学園は、平和を創り出す女性を育てる学園です。平和の象徴としての「折り鶴」は、核兵器の前ではあまりにも弱々しい存在です。平和への「祈り」も、複雑な世界情勢を考えるとあまりにも力のないもののように思われます。しかし、原爆の子の像には、毎年国内外から重さにして10トンの千羽鶴が届くそうです。毎年届けられる10トンもの折り鶴には、どのくらい多くの「折る」という「祈り」が伴っているのでしょうか。
原子爆弾開発のマンハッタン計画で中心的な働きをした世界的な天才物理学者エンリコ・フェルミは、おおよその数値を計算する「概算」も天才肌だったそうです。彼流の「フェルミ推定」で、これまで折られた千羽鶴に託された願いを推定してみましょう。原爆の子の像が建てられたのは、1958年です。今年で58年目ですが、50年間とします。折り鶴は、種類によって異なりますが15cm四方の折り紙は、100枚で120グラム程度ですから、100枚で100グラム、1枚1グラムとします。折る回数も鶴の種類によって異なりますが、20回としましょう。
10トン÷1グラム×50年間×20回=10の10乗=100億になります。捧げられた折り鶴には、100億回の折る作業にともなった祈りが含まれていることになります。天文学的な数値です。広島という限られた都市のこの場所に、100億という想像を絶する祈りが集積されていることになります。
今日から、2学期が始まります。恵泉女学園は、イエス様を中心として学園生活を行っています。あなたがたの生活での一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)も、すなわち、こまやかな一つ一つの動作や行動、ちょっとした努力やわずかな骨折りも、世界の平和を築き上げる大切な石となるのです。特に、学ぶということは、あなたがたの将来を築き上げるばかりでなく、そのあなたの働きによって世界はどのようにも変わる可能性があるのです。あなたがたの日々の学びは、石というより、取るに足りない一枚の紙片かもしれません。しかし、平和の君であるイエス様というお方を礎とすると、このわずかな紙片でさえも、必ず、高く積み重ねられていくことができるのです。卒業した生徒、現在在校している生徒、これから入学する生徒、恵泉に繋がる一人ひとりのわずかな平和への思いと行動が蓄積されれば、途方もない力、目には見えなくとも大きな平和を守る建築物となるのです。それは、大統領の17分の演説をしのぐことだってできるのです。
折り鶴の写真をわざわざ送ってくださった方の思いもここにあるのだと感じます。イエス様の御名を通して祈る祈り手が、一人でも多く、一度でも多く平和への祈りを捧げることのできるように、このことを覚える2学期始業礼拝にいたしましょう。8月15日の終戦記念日から2週間、8月は終わっていないのですから。