校長ブログ
1学期終業礼拝 人のためにあるもの
2015年7月21日 1学期終業礼拝
讃美歌 452
聖書 ルカ13:10-17
お話 人のためにあるもの
讃美歌 546
祈り
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今日の聖書の箇所は、ユダヤ人が大切にしていた安息日にイエス様が病気を治したことが書かれています。モーセの十戒の一つに「安息日を守ること」というのがあります。安息日はユダヤ人にとっては聖なる日です。その日は、どのような仕事もしてはならないという戒めがありました。イエス様が会堂でお話をしていたとき、18年間も病を持った婦人がいました。この婦人の18年間は、どんなにつらく悲しい人生であったでしょうか。腰が曲がっていたとありますから、日常の生活にも困っていたことでしょう。時には、自分のことを卑屈に思い、自暴自棄になったこともあるでしょう。神様や世の中を恨んだこともあったでしょう。
それでも、この婦人は安息日に期待して礼拝を守るために会堂に来たのです。婦人をイエス様はご覧になり「婦人よ、病気は治った」と言って、曲がった腰の上に手を置きました。「婦人よ、病気は治った」は、簡潔な言葉です。この言葉は、イエス様から発せられたまことの言葉でした。まことの言葉こそが、心も身体も癒すことができるのです。このとき婦人は癒され、たちどころに腰がまっすぐになった、と書かれています。
「腰」は、旧約聖書ではいのちの源を意味しています。婦人は、いのちの源から癒やされ、新たに生かされたのでした。
しかし、これを見ていた会堂の責任者は、安息日に病人が癒されたことに腹を立てます。群衆に「働くべき日は六日ある。その間にきて直してもらうがよい。安息日はいけない」とイエス様の行いを非難しました。まるで、婦人の病は治す必要がないというような、物の言い方です。イエス様はその発言を聴いて厳しい言葉で反論します。「偽善者たちよ。」イエス様の言葉に、周囲の人々は固唾を飲んだことでしょう。イエス様は続けて言います。「あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」。安息日に家畜を飼い葉桶から解くよりも、人をサタンの縛りから解く方がはるかにモーセの十戒を守ることだと、イエス様は言います。今日の話は、何が主で何が従であるかを考えさせられます。何が大切で何が大切でないのかを示されます。
今年の8月15日、太平洋戦争大戦が終結し、70年がたちます。各地で戦後70年を記念する集会が行われています。
戦後設定された日本国憲法は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という特徴を有しています。日本はこの憲法によって、戦争のできない国となっています。日本国憲法が「戦争」を禁止しているからです。
国民主権は、国と人との関係が安息人と人との関係に似ています。人が安息日のためにあるのではなく、安息日が人のためにあるのと同じように、第二次世界大戦の反省を踏まえて、人は国家のためにあるのではなく、国家は人のためにあるという考え方です。国が中心なのではなく人が中心なのです。最近、上に立つ人の国民主権という考え方が薄れてきているように思えます。
また、平和主義という考え方も大きな変化をもたらしています。本来積極的平和主義とは、単に戦争がない状態ではなく「貧困・抑圧・差別」のない状態を言います。ところが政府の言う積極的平和主義は、武力を用いた力を背景とした平和です。平和とは、恒久的に続いていってほしいものです。一時的なものであってはありません。武力でコントロールされた平和は、歪みを起こし、偽りの正義のもと、必ず戦争や紛争、貧困や差別を生み出し、長続きはしません。このことは歴史が証明しています。
3番目の基本的人権の尊重こそ、日本国憲法が設定された理由ではないかと思います。戦前戦中では、個人は国家の手足でした。国家の消耗品でした。
私の父も叔父も召集令状という紙切れ一枚で戦争に駆り出されました。叔父は25歳の若さで70年前の7月19日中国で戦死をしました。そのときの家族の悲しみや苦しみは、言葉では言い尽くすことができません。
しかし、国を治める者は、国民によって選ばれたという事実も忘れてはいけません。選挙権を持った私を含めた大人たちが選挙という権利を行使した結果なのです。私たちが民主主義のルールに則(のっと)って選んだ政権なのです。
日本国憲法の前文には、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」という文言があります、また「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と書かれています。
メディアセンターに「公職選挙法改正 18歳の選挙権」のコーナーができました。新聞の切り抜きと書物の紹介が行われています。先月6月17日に「改正公職選挙法」が成立したことを意識しての展示です。改正法で、選挙権年齢が20歳から18歳に引き下げられました。約240万人の若者が新しく有権者になります。ここにいる高校2年生と3年生も有権者になります。創立者の河井道先生は「戦争は、婦人が世界情勢に関心を持つまでは決してやまないであろう。それならば若い人たちから−それも、少女たちから始めることである。」と考え、恵泉女学園を創立しました。今まさに高学年の恵泉生が世界情勢に関心を持って行動を移す機会が一つ与えられたのです。18年間腰の曲がったアブラハムの娘が、すっくと立ち上がったように、18歳となるときあなた方は、河井道の娘として、平和を築く上げるために立ち上がることができるのです。将来の日本をよくする人を是非選んで下さい。
今日で一学期が終了します。ここまで守り導き支えて下さった神様に感謝します。今日は、ここで少し立ち止まって4ヶ月の自分の歩みがどうだったかを点検しましょう。一人ひとりが、4月に思い抱いていた期待や希望は実現できつつあるでしょうか。4月の時の初心を忘れていないでしょうか。あるいは、修正するところが見えてくるでしょうか。今日頂く個人の通知表は、振り返りに必要な様々な客観的な数値や担任の先生からあなたに向けられたメッセージが記録されています。真摯に謙虚に受け取り、夏休みを迎えるための貴重な材料にして下さい。
また、夏休みにただ遊ぶのではなく、学校ではできないことに主体的に取り組み学んで下さい。それは、将来正しい判断、正しい選択ができるようになるためです。夏休みのためにあなたがあるのではなく、あなたのために夏休みがあるのですから。毎日イエス様がそばにいて、あなたを守り支えてくださるように祈っています。