校長ブログ
1年学年礼拝「みな加えて与えられる神の愛」
2015年7月18日(土) 1年礼拝
聖書 マタイによる福音書6章33節
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
讃美歌301
お話 みな加えて与えられる神の愛
お祈り
台風11号の影響で、宿泊のフェロシップキャンプは中止になりましたが、今日は創立者河井道先生があなた位の年齢だったとき、どのような少女でどのように変えられていったかについて、お話をします。
人は、神に愛されば、変わることを河井先生は、経験しました。これは、あなたがた一人ひとりが同じように変えられるということにも通じることです。
河井道先生1877年(明治10年)7月29日 伊勢山田(三重県)に生まれました。お父さんの範康(のりやす)は、26代目伊勢神宮に仕える神官(平安時代まで遡る)でお母さんは、菊江(きくえ)といい、祖父は村長として人々に大変尊敬されていました。
先生は両親の強いすすめで6歳にもならないうちに無理に学校に通わされました。先生は、学校が大嫌いでした。学校が厳しすぎることと自分が内気で、積極的に 人前に出たり自分から行動を起こしたりすることができなかったからです。そのようなときに、お父さんの仕事がなくなります。
河井先生が幼い時、明治維新の新政府の改革によって伊勢神宮に勤めるというお父さんの仕事が整理されたのです。お父さんは、神様に仕える人として外出はいつも籠で、きれいな服を着ていました。広いお屋敷を持っていて大きな門もありました。更に不幸は重なります。お父さんに仕えていた人が事業に手を出して亡くなってしまったのです。保証人となったお父さんは、財産をすべて失ってしまいます。父親の失業と財産がなくなったことは、河井一家に希望と生きて行く力を奪ってしまいました。お父さんが大好きであった河井先生は、お父様が元気がなくなっていくのを見てとっても悲しくなりました。
父の誇りもあり、河井一家はだれも知らない北海道に行くことにしました。お父さんは、「いっそ、だれも私たちを知らないところに行って、新しい気持ちで生活を始めたい」と考えたのでした。実は、「誰も知らない」ではなかったのです。神様は知っていました。実は、このことは神様の深いご計画だったのです。神様は苦境の中にあっても脱出する道をも備えて下さいます。後でわかることですがこのことは、神様のすばらしい恵みだったのです。
1885年(明治18年)河井先生は10才で北海道の函館に渡ります。
河井先生は、キリスト教のミッションスクールの寮に入ります。そこでとても辛い思いをします。初めて家族から離れて送る生活です。内気な先生は英語の時間は、当てられると震えて泣き出してしまいます。そして、ある日クラスメイトの裁縫箱がなくなります。このことを問われて、気の弱い河井先生は泣き出してしまいます。このことで、河井先生が盗んだのではないかと、疑われることになります。河井先生は、自分は何もしていないのでとても心に辛さを感じます。お母さんが迎えに来て、家に帰ることになります。そして、その学校を止めることになります。しかし、河井先生はこのことを振り返ったときに、この学校での経験が無駄ではなかったと書いています。食前のお祈りも覚え、何曲か讃美歌も覚えました。覚えたこのなかの一曲に「いざいざためらうことなかれ」があります。後に、恵泉女学園を創立しようとしたとき、恩師の新渡戸稲造先生や周りの方から反対を受けます。しかし、込み上げてくる学園創立の思いを河井先生は、実行に移します。この時、河井先生を支えた讃美歌は、この曲だったのです。
聖書は、無駄なことは一つもないと言っています
ロマ 8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
今日のこの結果も神様のご計画です。全てを益として下さる神様を信頼しましょう。
河井先生の教育を続けるために伯父さんは、ミス・クララ・スミスというアメリカ人宣教師の創立した学校に入れます。ミス・クララ・スミスが河井先生にとって大切な人となります。河井道先生が10才の時です。
河井先生の暗い体験がここで光の体験に変わるのです。
スミス先生は、少しも怖いところがありませんでした。お菓子やきれいな色の毛糸をくれたり、一緒に遊んだりと楽しい時を過ごしたのでした。河井先生の心の殻が次第に柔らかくなっていきます。
ランプの受け棚を壊した話があります。お父さんの病気のことを心配して、一人になりたかった河井先生は壁の上に取り付けられているランプの受け棚に座ろうとして、それを壊してしまいます。初めて真剣な祈りを神様に捧げます。「わたしが壊しました。どうぞおゆるし下さい。」スミス先生は、笑い出して、しかりませんでした。河井先生は、自分の祈りが聞き入れられた初めての経験をします。それと同時にスミス先生の心の温かさを知りました。このときから河井先生の心に変化が現れてきます。
そして、その大きな転機が来ます。英文朗読の時間、誰も朗読しようとしません。河井先生は「わたしがやればきっとスミス先生の通りにできる」と思ったのです。内側から声がします。「道、勇気を出せ!」その内なる声に押し出されて、河井先生は顔を真っ赤にして、はっきりと大きな声で英語を読みました。
河井先生の心の殻が破れた瞬間です。スミス先生は、手をたたいて大喜びをしました。
「ほめられるのは、うれしいこと」だと分かったのでした。自分の存在が認められた喜びです。生きる喜びを見つけたのでした。
河井先生は、はっきり神と人に愛されている経験を持ちました。
現在の札幌北一条教会で受洗します。河井道先生11才の時です。お父さんも信仰を持つようになりました。
私たちは、目の前に起きた困難さに思い煩うことがあります。しかし、イエス様は「空の鳥をよく見なさい。あなたがたの神様は、鳥を養って下さっている。あなたがたは、鳥よりも価値のあるものではないか。」
「野の花を見なさい。この野の草でさえ、神様は飾って下さる。あなたがたは、なおさらのことではないか。」「神様は、あなたがたに必要なものは必ず与えてき下さる。」だから、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
河井道先生は、神の国と神の正義を求めた結果、願いがかない恵泉女学園を創設することができました。そして、今あなたがたが恵泉に入学できたのです。不思議な神様のご計画に感謝しましょう。










