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牧師・教会関係者との懇談会 開会礼拝 ー幸福度と心の貧しさー

2015/06/16
温室の脇に咲くガクアジサイ

温室の脇に咲くガクアジサイ

開会礼拝
讃美歌 234A むかし主イエスの播きたまいし
聖書 マタイによる福音書5章3節
説教 幸福度と心の貧しさ
祈り
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 今年の4月国連が幸福度の調査報告を発表しました。日本は、調査対象の158カ国中46位でした。1位スイス、2位アイスランド、3位デンマーク。幸福度の指標は、以下の7項目、①国民1人あたりの実質国民総生産GDP(Gross Domestic Product at constant price)、②社会的支援、③健康寿命、④人生選択の自由度、⑤寛容度、⑥汚職レベルの低さ、⑦ディストピア(表面的には秩序だって管理の行き届いた世界に見えるけれども、その内実は極端なまでの管理社会であり言論の自由などがないような社会)を変数として、幸福度を割り出したものだそうです。細かく見ると日本は、国民1人あたりのGDP、社会的支援、健康寿命は、上位なのですが、残りの4つ、人生選択の自由度、寛容度、汚職レベルの低さ、ディストピアがいずれも低い値になっています。中でも寛容さは、著しく低い値となっています。日本は、実質国民総生産GDPは3位ですから、この部分で大きく幸福度に貢献しているはずです。しかし、幸福度指数は低いのです。GDPで計ると幸福度1位のスイスは20位、幸福度2位のアイスランドは103位、幸福度3位のデンマークは30位と、実質国民総生産GDPが幸福度に貢献していないことがわかります。
 少し古いデータですが2006年世界14カ国、5200名の子供や若者に行ったインタービュー調査「今幸せですか?」の結果が出ていました。以下は、「幸せです」と答えた割合です。
 8歳から15歳までの子供は、「幸せです」の平均が57%でした。日本は13%、14カ国中最下位です。13位のイギリスが44%という数字を比べると13位のイギリスに比べてもその3割で、断トツに低い値です。
 16歳から34歳の若者は、「幸せです」は平均43%でした。日本は8%、やはり13位のイギリスは、21%です。イギリスの4割です。
 このように日本は、残念なことに数値も実感した幸福度も低いのです。ちなみに、日本が世界に誇れるものは何だと思いますか。平均寿命です。今年の女性の平均寿命は86.61歳で世界一。男性は、80.21歳で世界4位。男女の平均は、84歳で世界1位です。このことからすると日本は、幸福度の低いまま、長生きして、終える国ということになります。なんと寂しく虚しく惨めな生き方なのでしょうか。
 私たち恵泉女学園中学・高等学校は、12歳から18歳までの一番多感で、心身の成長の著しい時期を過ごす少女を預かっています。キリスト教教育を土台にして、心を育(はぐく)む教育を大切にしています。では、この日本の現実をどうとらえたら良いのでしょうか。
 今回選ばせていただいた聖書箇所は、マタイによる福音書5章3節です。いわゆる山上の垂訓と呼ばれ、イエス様が弟子たちに話す八つの至福の教えです。その一番はじめが、マタイ5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」です。イエス様がご自身でこの地上において語られた御言葉です。昔主イエスが語られた言葉は、今日こそ意味を持って響く御言葉ではないかと思います。私は、「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえを思い出しました。
 ルカ18:9-14です。
:9 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。
:10 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
:11 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
:12 わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
:13 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
:14 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
 心の貧しいものとは、神様をお入れする心の隙間をもっていて、それに気がつく人です。私は、何者でもない。私は、何も持っていない。私は、何もすることができない。私は欠けが多く、正しいと思っていてもその正しさを行えない、そのような弱さを知っている人です。神様は、そのような私を愛し、大切にして下さる、その神様を受け入れる心の隙間に気がつくものです。神様を受け入れることによって、自分中心ではない、自分の力でない歩み方、この世の価値観に縛られない、そのような神にある幸せを持つことができます。そして、それは、永遠のいのちを約束する天国の住人となる希望を与えてくれます。
 幸福度が低い、幸せ感に乏しいからこそ、キリスト教学校の使命が光り輝くのではないでしょうか。神様を受け入れる隙間に気付き、イエス様をその隙間にお迎えする、そのような信仰の導きを学校で担えれば、と思います。それは、創設者河井道先生の願いと祈りでした。
 イエス様の御言葉を伝える教会と御言葉から心を育む学校の双方の懇談会が開かれます。秦野教会牧師で、聖書科講師の堀先生のお話とグループでの討議で、この問題を深めていければ良いと期待しています。始めに賛美した讃美歌の歌詞をもう一度お読みします。

  1節:むかし主イエスの 播(ま)きたまいし いとも小さき いのちの種
    芽生え育ちて 地のはてまで その枝を張る 樹とはなりぬ
 3節:時代の風は 吹きたりて 思想の波は あいうてども
    すべての物を 越えて進む 主イエスの国は 永久(とわ)に栄えん