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校長ブログ

第67回高等学校卒業式

2015/03/16
フェロシップホールのお花

フェロシップホールのお花

賛美歌 286
聖書 イザヤ41章9節〜13節

 恵泉の主イエス・キリストに感謝し、御名を賛美いたします。卒業生のみなさん御卒業おめでとうございます。保護者の皆様、お嬢様の卒業を心よりお慶び申し上げます。また、来賓の方々この喜びの日に、共にご証人となって下さり感謝申し上げます。
 今日卒業する188名の卒業生は、目の前に広がる世界に今から心を躍らせているでしょう。あるいは、もう一年自分の進路実現のための努力をしたい、と決意なさっている人もおられるでしょう。
 今年は、戦後70年です。戦後3年目1948年に教育制度が変わり新制高等学校が発足しました。恵泉もその年に新制高等学校1年生が入学しました。そして今年度で67回目の卒業式を迎えることができました。
 御存じのように恵泉女学園は1929年、河井道先生によって創立されました。1904年から1905年日本とロシアとの間に戦争がありました。今から110年もの昔、日露戦争です。両国の傷がまだ癒やされない頃、河井先生はドイツのフライブルクで、クリスチャンのロシア人学生と出会いました。二人は、両国の間にある問題を話し合う中で、互いにもと敵対国同士ではありましたが、古くからの友達のように木陰に座り、ロシアの学生は日本のために、河井先生はロシアのために祈りました。二人は、温かく手を握って、国際平和のために働こうと誓ったのです。「わたしの生徒を通してわたしが国際交友のために貢献することはできないだろうかとわたしは考えた。」とマイランターンに書かれています。
 そして「戦争は、婦人が世界情勢に関心を持つまでは決してやまないであろう。それなら、若い人たちから―それも、少女たちからはじめることである。」と河井道先生は、ご自分の願いを神様に祈られました。こうして、恵泉女学園は多くの人々に支えられ誕生しました。しかし、日本は自ら戦争に突入していきました。日中戦争、太平洋戦争、第2次世界大戦へと愚かで傷ましい戦争は、拡大していったのです。1945年に第二次世界大戦は終わりました。
 その戦後70年という節目に、あなた方が卒業する意味はとても大きいと感じます。しかも、恵泉女学園の卒業生として、です。このことを意識して、聖書箇所を選びました。
 今日の御言葉の背景を少し説明させて下さい。これはもっと昔今から3000年前のことです。イスラエルでは、サウル、ダビデ、ソロモンと王が続いた後、王国は北イスラエル王国と南ユダ王国とに分裂しました。紀元前933年です。その北イスラエル王国は、大国アッシリアに滅ぼされました。イザヤ書を書いた預言者イザヤは、北イスラエル王国が滅びたとき、南ユダ王国の預言者でした。北イスラエル王国の人々は補囚として捕らわれ、南ユダ王国も滅びの道をたどっていました。2つの大国エジプトとアッシリアに挟まれた小国イスラエルは、エジプトに使節をおくり、アッシリアにも貢ぎ物をして、両大国との間に微妙なバランスをとっていました。ある時は、勢いのある方の国に擦(よ)りそい、その力を後ろ盾に、もう一つの大国に敵対していました。北イスラエル王国では、アッシリアに軍隊を送り従軍までさせていたようです。しかし、最後には戦いに敗れ祖国を失いました。国が滅びたもう一つの原因は、偶像礼拝にありました。自分たちをエジプトより導いた神を礼拝せず、自分たちに都合のいい偶像を造り礼拝を捧げていました。これは、真の神から忌み嫌われる行いでした。
 このイスラエルの歴史は、今日の日本の今にも当てはまるのではないでしょうか。大国の顔色を伺い、その力を借りて自らの地位を保とうとする。戦うことを放棄したはずであるのに、平和と称して戦いの準備をする。さらに、経済的な発展と成長を第一優先に掲げ、東日本大震災から4年たった今、何事もなかったように原子力発電の稼働を再開しようとする。この姿は、命を持たない偶像に必死に仕えるイスラエルの民と重なるように、私には思えます。
 卒業するあなた方は、河井先生の願いである、真の平和を願う女性でしょうか。
私は、十分河井先生の祈りに答えた恵泉生が今、卒業していくと確信をもっています。あなたがたは、学園の誇りです。平和とは、何でしょうか。平和とは、軍隊をもって力で治安を維持する状態でないことは明らかです。(現在では、これを積極的平和主義と間違って使っています。)平和とは、戦争や地域紛争がない状態に加えて、貧困・差別・抑圧のない状態を言います。あなた方は、信和会や学校行事を通して、貧しい人、差別されている人、抑圧されている人を知り、その方々のために祈り、寄り添ってきました。バザーや献金を通して、僅(ささや)かではありますが支援活動も行ってきました。
 イザヤ書には救い主キリストについての多くの預言が書かれています。イザヤは、悲しく惨めな状況であってもやがて愛と平和の新しい王が来られることを預言し、捕囚の民に慰めを与えます。
 クリスマスの時期に読まれるイザヤ書9章5節には、
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。
とあります。来るべき平和の神、イエス様を預言しています。イザヤ書は力と慰めを与えるイエス・キリストの青写真と言ってもいいでしょう。
 6年前、中学校入学式で読まれた聖書箇所を覚えているでしょうか。ヨハネによる福音書15章16節「あなたがたわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」です。
今日の聖書箇所であるイザヤ書41章9節から13節は、式次第に印刷されています。そこをご覧になってください。節の番号が振ってありませんので、このように分けましょう。上から4行、更に4行、続けて5行、最後の3行。4.4.5.3と区切っていただけると分かりやすいかと思います。初めの4行はこのように書かれています。
:9 わたしはあなたを固くとらえ/地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕/わたしはあなたを選び、決して見捨てない。
 この御言葉は、あなたに、自分が選ばれていることを再確認させます。あなたが神様から選ばれたのは、なぜでしょうか。入学式の御言葉では、「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、」書かれています。あなたが出て行って、あなた自身の実「平和に貢献することのできる実」を結ぶためです。あなたの今日からの歩みは、燦々(さんさん)と日の輝く日ばかりでは決してありません。様々な苦難や試練に必ず出会います。あなたの目の前でそれは、断崖絶壁の山のように立ちはだかるでしょう。深さを測り知ることのできない谷を眼下にすることもあるでしょう。そのときに次の御言葉を思い出して下さい。次の4行です。御言葉は、単なる格言や名言(めいげん)ではありません。あなたを生かす神の言葉です。
:10恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神
 「恐れる」の言葉の語源は「逃げ出す」です。置かれているあなたの場所から、あなたの位置から逃げ出すなと言われます。
注目したい第1は、恐れるなと言う神は「共にいる神」なのです。あなたの神は、天の上の方から眺め、声をかけるだけの神ではありません。人としての肉体をもって地上に下り生活した神であるイエス様なのです。
マタイ1章23節は、イザヤ書からの引用でこう書かれています。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である
 あなたの弱さ、苦しさ、欠けの多さを十分にご承知の神がいつも一緒にいて下さるのです。あなたの神は、共にいてくださる神です。
次に「たじろぐな、わたしはあなたの神」とあります
 たじろぐとは、圧倒されてひるむこと、尻込みをすることです。ここに「あなたの神」という言葉が出てきます。注目すべき第2は、たじろぐなと言う神は「あなたの神」なのです。正しい人の神でも、お金持ちの人の神でも、頭のいい人の神でもない、あなたの神なのです。一般的な抽象的な神ではなく、「個」としてのあなたに関わり、あなたを愛し、あなたに愛を注ぐ、あなたの神です。
そのあなたの神が、「勢いを与えてあなたを助け」て下さるのです。
次に「わたしの救いの右の手であなたを支える」と続きます。
 マルコ5章21節から、会堂長の娘ヤイロの話があります。
:22 会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、:23 しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」
(中略)
:40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。:41 そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。:42 少女はすぐに起き上がって、歩きだした
 あなたの神・イエス様は、死にかけた少女を「起き上がらせ、歩き出させる」手をお持ちの神なのです。右の手は、義と力を表します。義とは、約束をどこまでも守る誠実さです。誠実な神があなたを守る神なのです。あなたが立ち上がれないとき、あなたの手を取って引き揚げ、あなたが歩(あゆ)めないとき、あなたの手を引いて歩(あゆ)めるようにして下さるのです。
 誠実な神の守りの約束が続きます。次の5行の区切りです。
イザ 41:11 見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆/恥を受け、辱(はずかし)められ/争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。
イザ 41:12 争いを仕掛ける者は捜しても見いだせず/戦いを挑(いどむ)む者は無に帰(き)し、むなしくなる。
そして、再び念を押すかのように言い放ちます。最後の3行です。
イザ 41:13 わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う/恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。
実は、この少し後41章18節には、式次第にはないのですが、このように書かれています。
「わたしは不毛の高原に大河(たいが)を開き/谷あいの野に泉を湧き出させる。荒れ野を湖とし/乾いた地を水の源とする。」
 卒業するあなた方は、一人ひとり神様から与えられた固有の使命を持っています。その使命は、高原の荒野を湖とする、大きな河となることかもしれません。神様は、使命の大きさは問いません。使命の本質を問います。山々の間の谷に、人知れず湧き出(い)で、乾いた地を潤す泉でありなさい。その泉こそが、創立者河井道先生があなた方に期待する平和を願いつくりだす使命なのです。
恵泉の名前の由来について、河井先生の書かれたマイランターンにこのように書かれています。
「わたしは、学校を恵泉女学園と名付けた。『恵みの泉である女子の学びの園』である。誰も泉をつくることはできない、それは創造主からの賜物である。わたしの学校もその通りである。生命の源から湧き上がる恵みの賜物であらせたい。」
 どうぞあなた方は、恵泉から涌き出で、あふれ流れ、荒野に花を咲かす生ける水となってください。あなたと共におられるインマヌエルのイエス様が誠実にあなたを強め、助け、支え、守ってくださいます。さあ今日、恵泉という学びの場から、歩み出してください。あなたの神・主イエス様があなたの手を取って下さいます。
あなたがたが最後に覚えた暗誦聖句マタイ伝5章から
幸いなるかな平和ならしむる者、
   その人は神の子ととなえられん。