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校長ブログ

第68回中学校卒業式

2015/03/17
卒業生へのメッセージ

卒業生へのメッセージ

讃美歌  534
聖書 テサロニケの信徒への手紙 一 5章16節から18節

:16いつも喜んでいなさい。

:17絶えず祈りなさい。

:18どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

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 恵泉女学園の主、イエス・キリストに感謝し、御名をほめたたえます。卒業していく3年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様心よりお祝いいたします。
 先月の2月17日、山梨県にあるキープ協会清里自然学校から、3トンの堆肥がトラックで恵泉に運び込まれてきました。朝4時に清里を出発し、6時過ぎにここに着いたそうです。自然学校の校長の小林さんは、清里は例年に比べ雪が少なく予定より早く着いた、とおっしゃっていました。運ばれた堆肥は、その日に恵泉の圃場に生徒たちによって、まかれました。聖書・国際・園芸の特別教育プログラムの園芸は、畑がなければ始まりません。畑が肝心なのです。そして、畑は土です。土こそ植物にとっては重要な環境です。土は、人の目には目立ちません。しかし、土は植物の生長の下支えをしているのです。
 中学2年生の夏休みが終わり、2学期の初めに訪れた清里での自然体験を覚えているでしょうか。ファームワークでは、朝5時に起きての牛舎の清掃がありました。わらにまみれた牛糞をスコップでかきだし、一輪車(恵泉では、弧輪車と呼びますね)で堆肥置き場に運びます。スコップや一輪車を上手に扱うことのできる女子中学生は、東京では恵泉生だけでしょう。始めは、汚(きたな)いとか汚(よご)れると言って、おっかなびっくりの作業も、次第に熱が入ってくると黄土色の液体が体操服に付こうが顔にかかろうが全く気にすることなく、一生懸命に取り組んでいました。小林校長先生の話によると牛糞は、数か月から数年置いておくと自然にやさしく植物にとって栄養価の高い最適な堆肥となるそうです。わらと牛糞という有機物が微生物によって、二酸化炭素と水と適度な温度で分解されていくのです。分解の最中は、臭いも少なくなり手を突っ込むと温かいのです。私も手を突っ込みその優しい温かさを感じました。そして、最後に、臭いは全くなくなり、豊かな堆肥ができあがります。
 時間と環境がこのような素晴らしい不思議な変化をもたらすのです。教育もこのようなものではないかと思います。勿論生徒を牛糞に例えることは、適切ではありません。しかし、一人ひとりが3年という時間の中、恵泉という環境の中で、見違えるように3年間かかって立派に成長したことは、今日の一人ひとりの姿を見れば明らかです。改めて、おめでとうございます。
 この変化を思ったとき、ふとある聖書の話が頭を過(よ)切りました。カナの婚礼の話です。
ヨハネによる福音書の2章に書かれています。
:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
:6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス(80リットル、120リットル)入りのものである。
:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
 イエス様は、結婚式という大変記念すべき喜ばしい日に、水がめの水を良いぶどう酒に変えました。イエス様が一番初めに起こされた奇跡の御業としてよく知られています。
 おそらく皆さんは、恵泉に入学した2012年4月のことを昨日のことのように思い起こすでしょう。あっという間の3年間ではなかったでしょうか。恵泉での3年間の時間を経て、卒業式の今日の日に、芳醇な飲み物に変わったのです。毎日の礼拝が、授業が、行事が、クラブ活動が、友人との交わりがあなたの持っている素晴らしいたまものを醸成していったのです。人が成長すること、特にその心が広く大きく成長することは奇跡です。教育は、奇跡を生み出す業だと私はいつも思い知らされます。
 今日の日に示された御言葉は、テサロニケの信徒への手紙一5章16節から18節をあなた方よく使う絵文字でも表してみました。
:16いつも喜んでいなさい。    (@^▽^@)  常時嘉悦
:17絶えず祈りなさい。      (-人-)…†  不断祈祷
:18どんなことにも感謝しなさい。(σ≧▽≦)σ 万事感謝
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。             「いつも喜んでいなさい」。私たちは、時々喜ぶことはあるでしょう。しかし、いつも喜ぶことはできません。「絶えず祈りなさい」。私たちは、時々自分の願いや欲しいものを自分勝手に祈り求めることはあります。しかし、おそらく自分が受け入れることのできない事柄への祈りなどはできません。しかも絶え間ない祈りなど無理なことです。さらに、聖書は「どんなことでも感謝しなさい」と続くのです。感謝とは、「ありがたいと思う気持ち、自分以外の誰かに自分にしてもらったことなどについてお礼の気持ちをのべること」です。これも「すべてのこと」に感謝することなど到底できないことです。自分が失敗したり、物事が上手くいかないときなどなおさら、難しいことです。自分の努力では、この三つはできないのです。その時に、自分は何者でもない。自分は何も持っていない。自分は何もできないことに、気が付かされます。神様の憐れみと恵みが無ければ、自分は全くむなしい存在です。このように感じる事は、実は大変意味のあることなのです。むしろ今日の御言葉は、自分が感謝も、祈りも、絶えず喜ぶこともできない、自己中心的な人間であることを教えてくれます。しかし、神様の恵みと憐れみは、もっと深く広いのです。
 思い通りにならない人生の試練こそ、神様からのプレゼントです。みなさんは、義務教育の中で、守られていたことが多かったと思います。それが、今日からなくなり以前よりも厳しい状況に出会うことがあります。それだけでなく、人は長い人生で必ず試練のトンネルをくぐります。それは、試練の出口のない穴ではなくトンネルなのです。出口が必ず約束さている通り道です。トンネルを出ると入り口で見た景色とは全く別の景色が目に飛び込んでくるでしょう。それは、景色が変わったのではありません。あなたが変わったからです。あなたのものを見る目、あなたのものについて考え方、あなたのものを感じる心が試練によって変えられたのです。あなたが、臭気の放つ牛糞から温かい良質の土壌に変わったのです。あなたが、酸味のあるぶどうの実から芳醇な香りある葡萄酒に変わったのです。これが神の恵みと憐れみなのです。だから、御言葉はこのように言います。変えられることを知っていつも感謝しなさい。そのために絶えず祈りなさい。変えられたことに、それがどんなことであっても感謝しなさい。
 卒業式の主役はもちろんあなたがた卒業生です。しかし、あなたがたが深く愛し、時には厳しくしかりながらも成長を見守っていて下さった保護者の方も隠れた主役であると私は思います。先日3月6日、早朝5時50分頃NHKのラジオ放送で読まれていたある方の手紙をお読みし、この卒業式を終えたいと思います。
 「3月17日は、いよいよ一人娘の卒業式です。娘が生まれたとき、なんでも三人でやろうね、と言っていた家内が、娘が小学校1年生の3月3日、ひな祭りのお祝いをしようとしていた日、2年の闘病生活を終えて、天国に旅立ちました。あれから8年、男一人の片親で、娘にはずいぶん不自由をさせてしまいました。けれども、娘の登下校に声を掛けて下さったお米屋のご主人奥さん、私が忙しいときに娘の弁当を作って下さった大家の奥さん、いつも娘に優しく接し、いろいろ相談に乗って下さった先生方、本当にありがとうございました。3月17日、いよいよ私の娘は中学を卒業します。」 
 最後にもう一度言いましょう。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。