
校長ブログ
他者に「心」を寄せること
- 中学感話集 「道」
- 高校感話集 「めぐみ」
高校感話集 「めぐみ」巻頭言より
2013年度の高校感話集「めぐみ」を刊行できることを感謝いたします。 「最近の若者は、電車の中でお年寄りに席を譲らない。シルバーシートの前で私は黙って立っています。」ある集会の閉会時に、ご高齢の参加者から発言がありました。政府が進める「道徳」の教科化についてどのように考えたらよいのか、というレクチャーがこの会のプログラムの一つにありましたので、それに関する感想あるいは、意見のように私は、受け止めました。しかし、この発言に、私は少し奇異な感じを持ちました。なぜなら、この会はキリスト教教育を標榜する学校の責任者の会であったからです。 それに対してフロアーから発言がありました。「その問題は深い洞察が必要です。若者に責任があるのでも、だから道徳教育を押し進めればいいという問題でもないのです。今の若者には、心の中に他者がいない。その現実を知り、そのような若者を育ててきた私達に原因があることに気付くべきです。」「自分が育てられている時に、他者の存在がなかった。他者によって大切に育てられてこなかった。他者からの本当の愛を受けてこなかった若者たちには、心の中に他者が育たなかった。責任は、そのような若者を育てた私たち大人にあるのです。」
年を超えた今も、このやり取りは洞窟の中の残響のように、私の心に響き渡っています。 政府は「道徳」を義務教育課程(小学校、中学校)で教科にしようとしています。そのための布石が着々と打たれています。冒頭でご紹介したモラルの問題を含め、青少年の犯す犯罪が戦後教育の所為(せい)にされているからです。2013年12月6日「特定秘密保護法」が参議院本会議で賛成多数で可決・成立しました。私は、重大な欠陥を持った法律だと思います。国民主権に立ち塞(ふさ)がり、私たち国民の「知る権利」を阻害しています。翌日の7日の毎日新聞の社説では、この保護法が「民主主義を否定し、言論統制や人権侵害につながる法律」であり、「監視社会の到来を招き、市民生活を息苦しいものにするだろう。」と論説しています。指定される事柄が恣意的であることも問題だと思います。「法律は一度動き出すとその条文解釈は常に拡大する。」(同日同新聞 作家 保坂正康氏)という指摘もありました。 河井道先生が策定委員になっていた旧教育基本法の教育行政についての項目は、このような文言でした。 「10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」教育は、不当な支配下にあってはならず、国民に対して直接責任を負うと明記しています。 2006年に教育基本法が改訂され、このように変わりました。「16条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、、、」。他の法律が教育にフィルターをかけてもよいことを暗示しています。今回の特定秘密保護法によって、国は行政の指導のもと、教育が扱うべきでないと判断したとき、それを「秘密」として封印するのではないかという危惧を持つのです。恣意的とは、思いつきで行動する様をいうからです。教育は、「秘密」を語ることも、書くことも、伝えることも、あるいは触れることさえもできなる可能性があります。知る者は、自分のうちに密かにその「秘密」を沈殿させていくしかないのです。知らざる者はそれが自分自身の基本的人権を蝕むものであっても、その時まで「秘密」に気がつかない。そのような憂慮すべき時代到来の予感を持ってしまうのです。
そのような状況下、子どもたちは心にどのように他者を受け取り、どのようにその他者と成長していけば良いのでしょうか。他者と心を通わせることなど果たしてできるのでしょうか。 恵泉の中学・高等学校で行われる「感話」は、恵泉教育の魅力だと思います。生徒がありのままの自分の考え、気持ちを自らの振り返りの中で、原稿用紙に書き、クラスや全校の生徒の前で述べているからです。書くことは、聞くこと、読むこと以上に知的エネルギーと研ぎすまされ浄化された感性が必要です。自分以外の他者と向き合い、自分の価値観をいったん止(とど)め、相手の立場に自分を置き、状況を深く考察し、複雑な事柄を解きほぐし、論理的な筋道を付けて、それをまとめるという精神活動です。それが自由で斬新なその生徒の心の表出となります。そこに思いやりと優しさの体温で他者に「心」を寄せること、これが感話の素晴らしさです。ここでは、少数意見であっても個人が大切にされ、尊重されます。また、皆の前で臆することなく述べることには、勇気と信念と聞き手に関する絶対的な信頼が必要です。上級生が語る感話を聞きながら、新入生が感話に取り組みます。生徒は6年間この繰り返しの中で感話を書く精神活動を自然に身に付けていくから驚きです。年月を重ねる感話の中に、生徒各々(おのおの)の心の成長が刻まれていきます。この連綿たる営みこそは、恵泉の誇りです。これを可能ならしめる大きな要因は、心の自由と表現の自由、それを受け止め共有化できる環境が恵泉にあることです。この時代の流れの中でこれを守ることが教師としての大人の責任なのです。