感話
大人への階段 3年 M.T.さん
大人への階段
3 年 M.T.
「いい加減、大人になりなさい。」そのように両親から言われるようになりました。両親や周りの大人が言っている「大人」という言葉が年齢に関してのことではなく、精神的な面を指して言っているということは私も理解しています。
けれど、どのような言動をとることが精神的に大人だと認めてもらえるのか分からないのです。例えば、一つのお菓子を弟と取り合って喧嘩をする、これは子供っぽいふるまいであるということはわかります。このような場合、私は弟にお菓子を譲ると「大人だね」とおそらく評価してもらえるのでしょう。けれども、このふるまいは本当に「大人らしい」といえるのでしょうか。譲るばかりで不平等を受け入れることが「大人」だと言えるのでしょうか。「大人らしい」を実践するために何でも譲歩するのは違うと思います。私の周りの大人に目を向けてみると、その人達も自分自身の「欲」をもっていて、自分の都合が最優先のような行動をとることもあります。それなのに、なぜ、大人は「子供っぽい」だとか「大人気ない」と言われることが私たちと比べて少ないのでしょうか。これはきっと大人は子供どうしがする喧嘩のような感情の表し方をしないからだと思います。
私の場合、イライラしてくるとすぐ、頭に血が昇って感情を爆発させてしまうのですが、両親の場合は静かに正論でもってどんどん私の心を突き刺してくるように感じられます。こういう時、両親の言っていることの内容に納得することが大半です。つまり、同じ怒りという感情を表現するときでも相手が納得のいく言葉を選んで発する。これが「大人らしい」ということではないかと思います。
「大人の階段」という言葉を皆さんも一度は聞いたことがあるでしょう。この「大人の階段」というものはどうやって、何段登ったら階段を踏破し、大人になったと言えるのでしょう。私の好きなアニメの中で「大人の階段」を登ることについて語っている場面があります。その登場人物曰く、「大人になるとは人の思いに寄り添えるということ。」また「それには想像力と経験が必要。」この二つがそろってやっと「大人の階段」を一段登ることが出来るといいます。人の思いに寄り添うということは単に相手の気持ちを受け入れるということではないと考えます。いうまでもなく「寄り添う」というのは自分の考えたことが正しいと思い込んで押しつけながら相手と会話することではありません。ためしに国語辞 典で「寄り添う」の意味を調べてみました。その中で印象に残ったのは「寄り添うとは相手がこうして欲しいと思っていることを上手く引き出すことから始まる。」という一文です。たしかに「相手の気持ちを考えて」という言葉は間違えていないと思います。しかしそれらは相手が望んでいないことかもしれないという所まで考えが及んでいないことも多々 あるでしょう。そこで大切なのが「寄り添う」ということなのです。相手がどうして欲しいかを引き出し、遠慮深いように見えることでも大切なのだという心構えが大事なのだと思います。
私は「大人らしい」は大人の階段を登る途中にあると考えています。「大人になるとはどういうことか」という疑問に対して、人に寄り添うという答えはもしかしたら多くの人にとっては期待外れに思えるかもしれません。けれど、どんな状況でも自分にできることを探し出し、日々を丁寧に過ごす。それも「大人らしい」といえるのではないかと考えます。
「大人らしい」とは子供にも大人にも当てはめられるからこそ曖昧です。だからこそ、少しずつ大人になっていくこの時期で起こる一つ一つの体験を大切にしたいです。









