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K.W.さん(4年生)の感話 ーオリエンテーションキャンプの感話ー

2013/04/30

 学校を創るとは一体どういうことなのでしょうか。私は、学校とは“目に見えるもの”と“目に見えないもの”の二つで成り立っていると考えます。
“目に見えるもの”とは例をあげると、校舎や先生、生徒などです。
“目に見えないもの”としては、その学校の精神や先生の生徒に対する思いなどがあげられると思います。この学校の創立者である河井道先生は学校を創るにあたって、“目に見えないもの”を重要視していたと思います。この学校が園芸、国際、聖書を大事にしていること、女学校であること、制服がないことなど他の学校とは違う特徴が目立ちますが、それも全て河井先生の生徒に対する思いがこめられているように感じます。それらの特徴は時代によって少しずつ形を変えながらも、その根底にある精神は変わらず生き続け、今この学校に通う私達に受け継がれています。
 私は入学当初、河井先生のことを全く知らず、学校創立時の時代背景から、女性が今のように積極的に外へ出て働くような時代ではなかっただろうと推測し、河井先生に“積極的で行動力のある人”というイメージを抱いていました。もちろん学校を創ったことだけを見れば積極的で行動力のある人に変わりはないのですが、私のランターンの中のあるエピソードを読んだことで少し印象が変わりました。河井先生は子供の時、とても消極的で引っ込み思案だったそうです。私はこれを知って河井先生の人間的な部分に魅かれました。
そして引っ込み思案だった河井先生がどのようにしてこの学校を創るまでに至ったのかとても気になりました。
 私は、河井先生がキリスト教と出会ったことが大きく関係していると思います。宗教は人の心を救う大きな力があります。河井先生の父親もそうであったように、先生自身もキリスト教に何度も心を救われたのではないかと思います。河井先生はキリスト教主義学校の真の目的として、献身・犠牲・奉仕の精神を養うことを大きくあげていました。何故これらの精神を養うことが大きな目的となったのでしょうか。私は“奉仕することの喜びを知って欲しかったから”だと思います。誰かのために奉仕をすることは、相手だけでなく自分の心も満たしてくれるからです。
 私は人のために何かをするということが苦手です。理由は単純で、相手に親切にすることで自分が不利益な立場になることが多いからです。私はそのような目に見えるものだけで物事を判断してしまうことがよくあります。でもそれは今まで私に様々なことをしてくれた家族や友達に対してとても失礼だということに気づきました。そして改めて自分の弱さを実感しました。また私は自分が面倒くさいと感じたことは後回しにしてしまう悪い癖があります。例えば夏休みの宿題などです。私は数学が苦手なので、いつもそれを後回しにして夏休みが終わりに近くになってからようやくそれを始め、大変な思いをしています。
 人に親切にする時も同じですが、いつか他の時にやればいいと思っていると、いつまでたっても何も出来ないと思います。そこで高校生になったら思いたったらすぐ行動をするということを目標にしたいです。私も河井先生のように前を向いてしっかりと目標を成し遂げたいと思いました。