感話
K.M.さん(6年生)の感話 ーリーダーとして、一人の人間としてー
新年度になり、信和会やクラブなどで中心に立つ人が沢山いると思います。私は昨年度、高校ハンドベルの部長を任せて頂きました。私の思いを明かすことで部員はどう思うだろうか、という不安もありますが、今回はリーダーとしての私の経験について述べ、少しでもこれからリーダーとなる人の参考になればと思います。
私は部長になってから何日経っても、自分に自信を持つことができませんでした。不安が私の心に潜み、部長として振舞う自分の背後には、いつも大きく真っ黒な影があるような気さえしていました。「自分なんかが部長で良いのだろうか。」「私の何が評価されて部長になったのか。」そのような疑問が渦巻いていました。その一方で、最初の大きな演奏である恵泉デーが上手くいけば自信がつくのではないかと期待していました。
漠然とした不安を抱えながら過ごすうちに、気付けば恵泉デーの前日を迎えていました。この日、私に自分でも知らなかった自分の姿が現れました。きっかけは友人の涙でした。本番前最後の練習が上手くいかず、二人の同級生が涙を流しました。しかし、この時の私は驚くほど冷静でした。どうにか場を納め、部員に対して強気に振舞い、部員が抱えるプレッシャーを全て自分が背負い込んでやろうと言わんばかりの勢いでした。練習を終えて一人になり、先程の自分を振り返って、こんなに強気な自分がいたのかと驚きました。それと同時に、先程の私がいつもの慎重で押しの弱い自分とかけ離れていて、自分ではないみたいだとも思いました。強い自分と弱い自分、両者が自分の中ではっきりと分かれて存在するようになってしまいました。その後、恵泉デーの本番は無事成功させることができました。本番を終えて、前日泣いていた友人が、「Kちゃんのお陰で気を保つことができた」とお礼を言ってくれました。私はそのことを嬉しいと思う反面、前日の自分が本当の自分の姿なのか信じられずにいて、どこか素直に受け取れませんでした。そして、泣くほど彼女を追い詰めさせたその原因もまた、自分の力不足にあると感じ、彼女をはじめとする部員に対する罪悪感もありました。勿論、恵泉デーを成功させた達成感は大きなものでしたし、グループ全体の音楽や、ひたむきにベルと向き合う仲間に対し強い自信を得ました。しかし私はその代償かのように自分が二つに分裂し、しかも評価されているのは本当の自分の姿とは真逆の姿をした自分であることから、普段の自分に対する自信を喪失しました。言い換えれば、虚勢を張りすぎて自分が出せなくなった、ということなのかもしれません。
自信を得た自分と、責任の重さと無力さを痛感した自分。二重人格とまではいかないのですが、両者の存在が明らかになってから、弱気な自分への嫌悪感は増すばかりでした。また、依然として強い自分を自分だと確信することができずにいました。結局私は自分に対する迷いを隠すことができず、それは音楽の方ににじみ出てきました。自分が思っているように音を出せなくなり、ミスも増えました。また、そのような状態にも関わらず、今までと同じように振舞おうとして、自主練習を仕切り、偉そうに音楽について語り、指示を出す自分に腹が立ちました。いつしか私は自主練習だけでなく、演奏すること自体にも恐怖心を抱くようになりました。クリスマスの演奏では、グループとしては上手くいったものの、私個人としては、誰が聴いても分かるようなミスをするなど、最悪の出来になってしまいました。強がっていた自分が、迷いとプレッシャーに負けたということでしょう。
クリスマスが終わり、抱えきれない程に大きくなったプレッシャーの根源を見つけた時、ようやく分裂していた二つの自分の姿が、どちらも自分を構成する要素の一つで、決して別物ではないと気づきました。弱気になってしまうのは、大切な仲間と良い音楽を作りたいという思いが重圧として私に降りかかっていたからでした。そして、強くなれるのも、皆にベルの活動が楽しくて充実したものだと感じて欲しいという気持ちがあるからでした。一見真逆の性格を持っていた二つの自分が、目指す先は、全く同じであると気づいたのです。この時、ずっと私を苦しめていた二つの自分の姿の矛盾も、背後にあった重苦しい影もなくなっていきました。代わりに、何であろうが部長は自分なのだ、だから格好悪くとも、このグループのためにできることを全てやってやろうではないか、という強い気持ちが自分の中に満ちていきました。
次の演奏は三月のスプリングコンサートでしたが、このコンサートは状況が今までと大きく異なりました。長年恵泉の高校ハンドベルの指揮をして下さった先生が退任なさることとなり、これが先生にとって学校での最後の演奏になると分かったのです。このことを知った時には動揺しましたし、「よりによってなぜこんな時に私が部長なのだろう。」「先生にとって有終の美を飾るのが、私達の演奏で良いのか。」などと悩みました。しかしすぐに、やるしかないと思い、前に進んでいくことができました。大曲揃いのプログラムに先生のこのコンサートにかける熱意を感じ、その思いに応えようと必死になりました。また、先生へのサプライズとして、卒業生との合同演奏を計画し、私は練習や打ち合わせに奔走する日々を送りました。慌しく過ごす中、プレッシャーや疲労もありましたが、これまで悩んできたことで得た強い気持ち、そして何より大切な仲間と自分達の音楽への自信が私を支えてくれていました。私達は、音楽的に先生の期待に応えられるか疑問に思うこともありました。それでも、部員一丸となって曲に込められたメッセージを表現しようと努力しました。
そして迎えた本番、心から笑顔で演奏できたこと、ずっと尊敬していた先輩の最後の舞台に共に立てたこと、そして先生へのサプライズも成功し、これまでに経験したことのなかった迫力ある音楽を作れたことが、とても嬉しく、胸が一杯になりました。
コンサートの後に、私がずっと憧れ、慕っていたかつて部長だった先輩に「自信を持って良いんだよ。自分を信じて、自分らしく頑張って。」と言われました。今まで様々なことを乗り越えてきた結果存在する今の自分の、ありのままの姿を認めて貰えたことが本当に嬉しかったです。
私はリーダーとして未熟であり、リーダーとはどうあるべきかを語る資格はないかもしれません。しかし、はっきりと言えることがあります。それは、リーダーに必要なことは能力や技術ではなく、自分が中心となるそのグループを好きになること、周りの仲間を大切にして力を合わせること、そして自分がリーダー以前に一人の人間であることを忘れないということです。リーダーとしての理想像に無理に近付こうとすると、自分自身を見失ってしまいます。しかし、周りを見渡せば、未熟な自分を受け入れてくれる仲間が必ずいます。その存在に気付き、仲間の存在を支えに自分に自信を持つことが大切だと思います。それが出来るようになった時、ぶれない信念を持ち、周りの仲間を誇りに感じる本当のリーダーになれるのではないでしょうか。
この一年間、私の周りには常に支えてくれる人がいました。パーカッションを担当し、活動がない時も一人練習するなど、いつも懸命に活動に取り組んでくれた後輩達。何も言わなくても私の動きに気付いてさりげなくサポートしてくれた副部長。我が儘や悩みを聞いてくれた顧問の先生。そして、いつも一番近くで一緒に歩んできた同級生。挙げればきりがありません。周りの人に恵まれて、私は本当に充実した生活をすることができました。
四月二十九日の、日本ハンドベル連盟主催の演奏会をもって、私達の学年は引退を迎えます。指揮者の先生も本当に次が最後の演奏です。今までの全てに感謝し、支えてくれた皆に恩返しができるよう、良い演奏をするために、最後まで尽力していきたいと思います。