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M.N.さん(6年生)の感話 ー勇気をもって進みたいー

2013/07/16

「日本語のない場所でずっと英語をシャワーのように浴びて聞いていたら、理解できるようになるのだろうな。少しは話すこともできるようになるだろうな。」と、中学2年生の冬休みの旅行中、滞在していたホテルでテレビを見ながらぼんやりと考えていました。
 たった1週間の旅行でしたがアメリカに行き、2、3日した頃からテレビで言っていることが分かり始め、英語漬けの生活をしてみたいと思ったのです。これが私にとって留学を考えるきっかけになりました。旅先では、「どこから来たの?」「どれ位いるの?」「楽しんでる?」と気さくに声をかけられ非常に嬉しかったのに、気の利いた返事が出来ず、残念でした。
 中学に入って初めて学んだ英語は大好きで、英語をもっと学べる進路を考えたり、英語に関わる職業を視野にいれていましたが、この旅行をきっかけに机上の勉強だけではなく、もっと違う方法で学びたいと考え始めるようになりました。しかし、留学は単に英語を学ぶだけではない、全く文化も習慣も違う生活の中に放り出されるのだから相当の覚悟が必要だ、と周りから言われました。それでも留学したいという私の気持ちは強く、高2の夏からアメリカのワシントン州へ10か月間留学しました。アメリカでは、一般の家庭に受け入れていただき、ごくごく普通のアメリカ家庭の生活を経験することが出来ました。私のホストファミリーは、日本からの留学生を受け入れるのが私で5人目というこということもあり、特別扱いもせず普通に接してくれました。最初はつたない英語で意志の疎通に時間もかかりましたが、大変恵まれた環境でアメリカでの生活を始めることが出来ました。
 日本では一人っ子の私ですが、アメリカでは一気に大家族となりました。ホストシスターが3人とその子供が12人おり、普段は別の場所で暮らしていますが、週末になると一緒に教会へ行き、その後食事をして過ごしました。「アメリカの普通の家庭」と先程言いましたが、典型的な核家族で育った私にとって、普段は別に生活している家族が週末ごとに集まり過ごすということは印象深いことでした。しかし、彼らには特別なことではないのです。また、3人のホストシスターのうち1人は養子で、血はつながっていません。親も親戚も友人も日本人の私には驚きでしたが、学校にも本人はアジア系なのに親は白人という同級生が何人かいました。国際的に有名な俳優に養子が何人もいるという話は聞きますが、私がいたような家庭でも養子を受け入れることが普通にあるのです。血はつながっていて当然、人種が同じで普通、こんな考えや環境の方が珍しいのかもしれないと思いました。また、日本では普通に生活していれば一生会うことはないだろう囚人も毎週教会に来ていて、本当にびっくりしました。私以外の人たちは、囚人も教会員の1人としかみておらず、一緒の教会にいれば仲間、家族であるという考え方にも感銘を受けました。その考え方のおかげで、私も家族の一員として受け入れてもらえたのです。このように、日本では特別になってしまうことが、アメリカでは普通に行われています。例えば、アメリカでは「寄付」も特別なことではありません。持っていない人には持っている人が持ち寄って受け取ってもらおう、私達にできることをしようという考え方で、日本のように「寄付を呼びかける」という大げさなことではありませんでした。これらの経験から、アメリカの「普通」を実感でき、私の中の「普通」の基準が少し変わりました。
 しかし、違和感を抱かずにはいられないアメリカでの「普通」もいくつかありました。私の住んでいる地域で震度3ぐらいの地震がありました。その日は、地震の話題で学校はもちきりで、授業もほとんど地震の話でした。私にしてみれば大したことではないし、半分あきれた位だったのですが、友人の1人が「Did you enjoy the earthquake?」と聞いてきたのには怒りが爆発しそうになりました。地震は楽しむものではない、日本ではその地震で万単位の人が亡くなったのだから、と心の中で叫んでいました。本当はそう言い返したかったのですが、興奮気味の友人に言えませんでした。また、経験しないとわからないだろうというあきらめた気持ちもありました。
広島長崎の原爆について授業で学んだときも「原爆投下は良かった。そのおかげで日本の戦争をやめさせることが出来た。」という意見が100パーセントで、反論もできませんでした。あまりに驚いてホストペアレンツに話をしたところ、彼らも同じ考えでした。環境や文化が違うと、同じ物事でもこんなに考え方が違ってくるのだと嫌でも思わされた経験でした。以上のことから、生活してみないと決してわからないアメリカの「普通」を実感できました。
 これらのことだけがきっかけではないですが、人と違う意見でも同意してもらえなくても、聞いてはもらえるということが分かり始め、学校でも家でも私は自然とはっきりと意見を言うようになりました。日本では「謙遜」はとても良い意味でとらえられますが、アメリカではそのような考えはないように思えました。例えば、教会や学校でよくピアノの伴奏を任され、その度に上手だねとほめられたのですが、「日本にはピアノを弾ける人はたくさんいるし、もっと上手な人がいっぱいいる。」と思い、大したことではないと答えていました。しかし、ある時ホストマザーに「否定しないで。ピアノが上手に弾けるというのは神様がくれた才能なのだから、あなたしかできないことなのよ。音楽を通してあなたは神様を賛美しているんだ。」と言われ、ほめられたら素直に「ありがとう。」と答えるようになりました。私にとって大きな進歩でした。日本では、あまり余計なことは言わない方が良いとか、自分の意見がどのように受け止められるのか、誤解をうまないか、などと周りの目を気にすることがよくあります。また、ほめられて「うん。」などと答えたら、自慢しているようにもとられかねません。アメリカでは言葉が母国語でないからこそ言えたのかもしれませんが、しっかりと相手の気持ちを受け止めつつも、自分の意見をはっきり言えるアメリカの環境を私は段々好きになっていきました。
 英語上達のために行ったアメリカでしたが、留学しているうちにその目的は段々と変わっていきました。確かに英語や外国語は出来た方が良いでしょう。しかしそれは1つの手段にすぎず、その手段を生かすも殺すも今後の自分の生き方次第です。生活し経験すればするほど、自分の語学力の足りなさや中途半端さを認識します。留学したからといって全てが得になるというわけではありません。英語に関連した職業を視野に入れるという考えは薄れ、却って何をしたらいいのか分からなくなってしまいました。
 しかし、そんな模索中の現在、少し先を明るくしてもらえるような出会いがありました。ホストペアレンツが受け入れた留学生のうちの1人に会ってお話することが出来たのです。今は働きながら3人の子供を育てている女性です。彼女も帰国してから進路について悩み、留学したことで却って英語がまだまだ中途半端だと思い、大学に進学した後再度アメリカへ留学したそうです。目の前にあることに懸命に励んできたからこそ今の彼女があるのだろうし、そんな彼女に会えてとても嬉しかったです。そう考えていると、将来やりたいこともなんとなく見えてきました。
私は、用心深いというか怖がりなところがあり、先が見えないと不安で仕方ない性格なのですが、留学によってまた彼女との出会いによって、先のことばかりにとらわれず、模索しながらも目の前にあることに真摯に取り組み、道を作っていきたいと思うようになりました。こう考えられるようになったのも留学したからであり、今は留学という貴重な経験が出来て本当に良かったと思っています。留学したからこそ繋がることのできた日本とアメリカの家族に感謝を忘れず、先が見えなくても前に進む勇気を持って日々を過ごしたいと思います。