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校長ブログ

1年生フェロシップ開会礼拝

2016/07/19
浄蓮の滝

浄蓮の滝

 1年フェロシップ開会礼拝

讃美歌 312,Ⅱ144
聖書  マタイによる福音書6章33節
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな与えられる。」
黙祷

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Ho! Ho! How we go.
Down the hill, over the snow!
Ho! Ho! How we go.
Up the hill, over the snow!

河井道先生が入学したスミス女学校の英語の授業で、はじめてみんなの前で朗読した英語の一節です。道先生が英語を習い始めて、1年もたっての出来事です。
道先生は、引っ込み思案の性格でみんなの前で自分の意見や考えを言うことが苦手でした。英語を教える外国人も好きではありませんでした。スミス先生は、道先生の引っ込み思案の性格を直そうと、決心していました。スミス先生は、道先生の中に素晴らしい才能を見つけて、引っ込み思案が治れば、もっとみんなの前で活躍のできる人になる、と信じていたのです。スミス先生は、教室で道先生の椅子を、ご自身のすぐにそばに置きました。そして1年後、ナショナル・リーダーの本の第一巻を読んでいた時、何かが道先生に、「勇気を出せ!」とささやきました。まるでスミス先生のように、自分でも驚くくらいにはっきり、読むことができました。スミス先生は、約束通り道先生の椅子をみんなのところに戻してくださいました。道先生は、ほめられることは、うれしいことだとわかりました。道先生の教育者としての原点がここにあります。そして、道先生が恵泉女学園をおつくりになりたいと思われたのは、この出来事があったからだと思います。
(私のランターン、p67,68)
「勇気を出せ!」とささやいたのは、誰でしょうか。御本には書かれていないのですが、私は、イエス様だと確信しています。
この出来事の少し前にこのような事がありました。「ランプ棚」という小冊子にもまとめられています。
『今でもおぼえているのは、ある時、病気の父のことを考えていて、ひとりっきりになって、もっと父のことを考えたいと思いながら寄宿舎へと長い廊下を歩いていくうちに、ふと、壁の上の方にある、ランプの受け棚が目こついた。
こんなにかけ離れた場所がある。ここなら、誰も、小さな生徒をさがそうにも、思いつかないようなところだ。自分でも何をしているのか、本当にはわからないうちに、わたしはきゃたつを持って来て、その受け棚へと登っていった。
が、わたしがそこに腰掛けたとたん、それは壁からはがれて、わたしもろとも、床の上に落ちてしまった。自分がしてしまったことの恐ろしさが頭にいっぱいで、怪我をしたかどうか問題ではなかった−−わたしはスミス先生の受け棚をこわしてしまったのだ、先生はきっとお叱りになるだろう。
わたしは、先生のところに行くのが、こわかった。
いつか先生が、
「もしわたしたちが、心から天の父なる神様にお祈りすれは神様はきっと答えてくださいます」
と言われたのを思いだした。そこでわたしは、階段の下の押入れにもぐりこんで、そこでわたしのはじめてのほんとうの祈りを捧げた。
それから、こわれた受け棚をかかえて、スミス先生のところに行き、ふるえながら「わたくしこわしました。どうぞおゆるしください」
と言った。
先生の大きな眼が、私を射とおすように探りぬいた。
「こわしたのですって。どういうふうにして?」
「腰かけたんです」。わたしは先生の顔をまともに見られなかった。
「これに、腰かけたんですって」
と彼女は叫んだ。「なぜ?」
「わたし、あの、わたし、ただ腰かけたかったんです」
これだけがやっと言えた。
「もうちょっと、ものわかりがなかったの。これはランプだけのものです。誰と−緒だったのです」
「誰も」
「それでは、ほんとに、それに腰かけたの」
わたしは泣きだした。
急に、スミス先生は笑い出された。
「こんどからはね、これはランプをのせるもので、あなたのような大きな人をのせるのではないということを、よくおぼえていらっしゃいよ。すんだことは仕方がないのです。もう心配しなくていいのですよ。もう向こうに行っていいです」。
それを聞いて、わたしは、とんで帰った。その間、わたしの心はわたしの初めてのほんとうの祈りがきかれたという驚きでいっぱいだった。スミス先生はお叱りにならなかったからだ。』(わたしのランターンp62-64)
道先生の捧げた本当の祈りは、神様に届き、受け入れられたのです。その結果として、イエス様は、スミス先生の心に働いて下さいました。そして、小さなイエス様が道先生の心に宿ったのです。道先生の中のイエス様は、生涯にわたって道先生を支え、助け、導いて下さいました。
新約聖書のローマの信徒への手紙10章10節に、「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」と書かれています。

 道先生をイエス様に導いたスミス先生は、1851年生まれで河井道先生より26歳年上になります。先生になる学校を卒業して後、フランスとドイツに留学しました。牧師であるスミス先生の兄が若くして亡くなると、兄の志を継ぐ決心をして、宣教師として日本に来ます。30歳のとき、札幌でスミス女学校(現在の北星学園)を開設しました。スミス先生は、教育を通して日本の若い女性をイエス様に導きたいという願いがあったのです。
道先生の家族は、ある事情があって北海道に越してきました。函館で偶然、父のいとこの中須治胤(なかすはるたね)と出あいました。彼は、キリスト教の信仰を持ち、函館の教会で働いていました。道先生は、伯父の紹介で、スミス女学校に入ります。ここにも不思議な神様の導きを感じます。
毎年、秋になるとカナダにお住まいの恵泉の同窓生が日本に来られます。1945年に恵泉を卒業されました。その方は「河井先生は、私にイエス様を教えて下さいました。私の人生は、イエス様によって変えられました。」といつも言われます。恵泉は、そのような卒業生が大勢いらっしゃいます。
マタイによる福音書6章33節「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな与えられる。」大切なことはたくさんあります。でも一番大切なことは、イエスさまと出あうことです。6年間の学校生活の中で、イエス様とおあいしてください。