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2019年度 第72回高等学校卒業式「式のことば」

2020/03/16

                                           

3月16日(月)高等学校卒業式が規模を縮小して行われました。式では「式の言葉」を省略しましたので、ここに載させていただきます。

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聖書 イザヤ書 52章7節
 いかに美しいことか 
 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
 彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 
 救いを告げ
 あなたの神は王となられた、と 
 シオンに向かって呼ばわる。
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     ご卒業おめでとうございます。この日を備えてくださった学園の主イエス・キリストに感謝いたします。また、保護者の皆様、お嬢様のご卒業心よりお慶び申し上げます。
  6年生の夏に行われた天城山荘での修養会のテーマは「地図」でした。修養会のしおりには修養会委員長の言葉として「未知なる自分、まだ知らない自分に気づき、それぞれの地図にどんどん新たな道を増やしてください。」と書かれていました。
  私のイメージした「地図」は、全てが書き込まれていた「地図」でした。しかし、若いあなたがたのイメージは「白地図」でした。白いところに自分の道を書いていくものでした。
この様な詩があります。
       “自分で描いた人生の地図は 曲がり角なんかないはずだった。
        生きるってことに 疲れたとき 地図なんていらないと思った。“
確かに人生には、曲がり角があります。行き止まりがあります。自分の思い描く地図とは、かけ離れた状況がつきものです。こんなはずではなかった、と思うことが必ずあるでしょう。

今日の御言葉を私はヘンデル作曲のメサイヤで知りました。
メサイヤの第2部「受難から勝利に」の中に、ソプラノのアリアがあります。このアリアは短いですがとても美しく印象深い曲です。
    How beautiful are the feet of them    何と美しいことでしょう、
    that preach the gospel of peace,      平和の福音を宣べ伝える者の足は、
    and bring glad tidings of good things.  良き事々の嬉しい知らせをもたらす者の足は
この歌詞は、
「遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。『良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか』と書いてあるとおりです。(ローマの信徒への手紙10章15節)」。
今日の卒業式の御言葉であるイザヤ書52章7節を引用しています。

それでは、「美しい足を持つ良い知らせを伝える者」とはどのような者なのでしょうか。「良い知らせ」と同じ意味で使われている言葉がイザヤ書6章1節にあります。
主はわたしに油を注ぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み 捕らわれ人には自由を つながれている人には解放を告知させるために。

これらからわかることは、
①良い知らせは、「貧しい人」に告げられる。
「貧しい人」とは、単に経済的に貧しい者ではなく、イエス様が山上の垂訓で言われた「心の貧しい人は、幸いである。天の国はその人たちのものである。(マタイ5章3節)」を思い浮かべ
ます。貧しい人たちとは、心に飢え乾きを持ち、その満たしを切望している人たちです。
②良い知らせは、打ち砕かれた心を包む。
良い知らせを告げる者は、貧しい人たちに寄り添い、希望を失って力の失せた人の心を温かく包みこむことができます。
③良い知らせは、自由と開放を与える。
良い知らせは、抑えられ捕らわれた人には、自由を与えます。排除や差別の中にいる人には、そこからの解放をもたらせます。「遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。」とあります。私は思います。「遣わされる」のは、「あなたがた」です。

 あなたがたの入学式時の御言葉を覚えているでしょうか。
 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(ヨハネによる福音書 15章16節)」でした。聖書は、「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」と続きます。あなたがたは、出て行って実を結び、その実を残す事ができる人たちだからです。神様の使命をあなたがたは果たすことができるから、選ばれそして任命されたのです。6年間かけて、あなたがたはそのような神様に守られ、支えられ、導かれ、この学園を巣立っていきます。そして、将来立派な実を結び、その実を残す仕事ができる、そのような人たちとして卒業していきます。
   恵泉女学園は、「世界に目を向け、平和を実現する女性を育てる」ことを教育理念に掲げています。平和とは、先程の聖書にあるように、単に戦争がない世界ではなく、貧困、抑圧、差別のない世界です。その世界を創り出すために、神様の御旨を実現させるために、さらなる学びを継続するために、ここ恵泉から旅立つのです。実とは、「平和を実現する」という実です。

   イエス様は、私を罪と死の世界から解放してくださいました。イエス様の十字架が私の恵みと命の源です。イエス様は、いばらの冠を被せられ、鞭打たれ、十字架の上で手と足に釘を打たれました。その打ち傷によって、私は癒やされたのです。癒やされた者だからこそ、人を癒やすことができるのです。寄り添うことができ、良い知らせを伝えることができるのです。冒頭の「いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足」は、イエス様の傷を負った足です。それは、良い知らせを告げられた人々にとって美しい足となるのです。あなた
がたの美しい足で良い知らせが告げられた場所は、神様の栄光が現れます。曲道は、真っすぐな道となり、行き止まりの道には、抜け道が備えられます。あなたの働きは、あなたの神が君臨する証となります。「あなたの神は王となられた」という御言葉が実現します。イザヤ書52章を「受難から勝利に」の預言と捉えました。

先程の詩に、続きができました。
      “自分で描いた人生の地図は 曲がり角なんかないはずだった
       生きるってことに 疲れたとき 地図なんていらないと思った
       私の歩く道で 真(まこと)のいのちであるイエス様は 私に語りかけた
     「わたしの足であなたは歩く 釘跡の残る美しい足で」
       私は今 主の道を歩く 愛と恵みをこの身に受けて 
       その時 私の地図は完成した“

  使命を帯びて卒業です。心からお祝いいたします。