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校長ブログ

2020年 新年礼拝 「前へ進む」

2020/01/07

黙祷
讃美歌 419 主イエスにありては
聖書 出エジプト記4章1節から17節 
フィリピの信徒への手紙3章13,14節
             :13 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、
                  後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
             :14 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
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祈り
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  明けましておめでとうございます。みなさんは、年末年始どのように過ごされたでしょうか。
今年は、2020年です。数字の遊びをしてみました。
2020 = 1×1×1 + 2×2×2 + 3×3×3  +  4×4×4 + 5×5×5  + 6×6×6  + 7×7×7  +  8×8×8  + 9×9×9 – ( 1×1 + 2×2)
2020 =  20 ×101 = ( 2×2 + 4× 4 )×( 2×2 + 4×4 + 9×9)

  美しい式で表すことができて、びっくりです。まだいろいろとありそうです。探してみて下さい。数字の2020が様々な数の組合せで作り出せると同じように、一人ひとりの2020年の歩み方があると思います。
  年のはじめは、気持ちも新しくなります。節目として、この時期に一年をどのように始めるかを考えることは大事なことです。年のはじめは、これから広がる未来の出発地点だからです。未来の占める割合が多い若い人ほど、その意味は大きいでしょう。
  一つ質問です。あなたの未来は、あなたの前にありますか、それとも後ろにありますか。私は、当然前にあると思っていました。でも、そうでない世界もあるということに、気が付きました。
  今日は7日です。次の日曜日は12日ですが、今日から5日後にあります。未来なのに「後」にあるのです。1月1日の元旦は、6日前にありました。過去なのに「前」です。先日読んだ本によると、ある人々にとっては過去は自分の「前」にあり、未来は自分の「後」にあるのだそうです。過去は、目に見えたけれども、未来は誰も見ることができない、だから、過去は自分の前にあり、未来は自分の後ろにあるのだそうです。これも一理あります。

 しかし、聖書の言葉ははっきりしています。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、」とあります。私たちは、過去を忘れ、未来に向けて前進するのです。「未来」は前にあり、「過去」は後ろにあるのです。「過去を忘れ」というのは、過去に犯した自分を苦しめていた罪にもう目を向けなくても良い、という意味です。ローマの信徒への手紙3章24節「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」とあります。つまり、イエス様を信じる信仰によって、人は義とされる、とあるからです。義とされるとは、全く罪を犯さなかったようにされる、ということです。この事を知っていると、私たちの出発点は、何と心が軽く穏やかになって歩み易くなることでしょうか。

 それでも、パウロはまだ満足していません。このような恵みを一方的にくださった神様をもっと深く愛し、もっと広く知り、もっと多くの人に神の愛を伝え、仕えたいと切に望んでいます。それは、その結果として「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞」を得ることが目標だからです。
   マタイによる福音書25章に「タラントン」のたとえがあります。主人から預かったお金(タラントン)を上手に使って、預かったお金を見事に倍にした下僕の話です。
  主人は、5タラントンを預けた下僕にも、2タラントンを預けた下僕にも、金額の多い少ないを問わずに同じ言葉をかけます。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイ25:21、23)
 パウロは、このような神様のお言葉と上へ召して下さるという賞を得て、イエス様と共に喜びたいと強く望んでいるのです。
パウロはコリントの信徒への手紙一9章24節でこのように書いています。
「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。」
 
  今年は、東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。
  パウロの心意気は、まるでこの大会に出場する選手のようです。13節の後半「前のものに全身を向けつつ」は、新改訳聖書では、「前のものに向かって身を伸ばし」となっています。まるで、陸上100メートルの走者が、100メートルを走り切る寸前に自分の胸を出来るだけ前に突き出し、ゴールのテープを切りたいという気持ちです。競泳の選手が最後まで泳ぎ切り、プールの端のタッチ板に手の指の関節をしっかり伸ばし100分の1秒でも早くたどりつきたいと必死になる心情です。オリンピックの選手は、この一瞬のために4年間の厳しいトレーニングをこなしてきたのです。

 私たちが1年を始めるに当たり、今日の聖書から学ぶことは、次の4つです。人と比較するのではなく、自分と神様との関係で行われる競技です。
1.目標を定める:ゴールを見極めることです。ゴールを誤るとレースそのものに意味がなくなります。誤ったゴールに辿り着くことは、途中で落伍するに等しくなります。自分の目標をしっかり描きましょう。
2.準備をする:運動選手は、体力を鍛えるために、日々努力をします。筋肉トレーニング、メンタルトレーニングはもちろん、食事・睡眠にまで神経を使います。
「競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。」(コリントの信徒への手紙一9章25節)
3.脇目を振らない:目の前のものに、気をとられないようにしましょう。脇見をしては、いけません。
「だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。」(コリントの信徒への手紙一9章24節)
4.モデルを見つける:自分の目標を既に叶えた人を見つけることです。陸上なら陸上の選手、水泳ならば水泳のあこがれの選手です。
ヘブライ人への手紙12章1,2節は、このように書かれています。「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」
  でもそんなに自分自身に力を込める必要はありません。すべてのことを知っておられ、私たちを大切にしてくださる方にお任せしましょう。競技に限らず、自分の力を抜いたときに、意外と良い結果が出ることがあります。
  6年生は最後の残り少ない恵泉生活を終えて卒業です。新しい未来が待っています。皆さんにとって良い一年でありますようにお祈りしています。