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校長ブログ

2019年度 1学期終業礼拝

2019/07/22

讃美歌 420
暗誦聖句 交読文41 マタイ伝5章
聖書  マタイ21:23〜32節
お話 考え直すこと
祈り  
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聖書では、二人の息子のたとえと書かれている箇所です。
29節と32節に書かれている「考え直す」という言葉は、King James訳では、”repent”「悔い改める」という意味の動詞が使われています。
 二人の息子がいました。父親が「ぶどう園へ言って働きなさいという」言葉に、兄は始めに「いやです」と答えましたが、後で考え直して、ぶどう園へ行きました。弟は、「承知しました」と答えましたが、行きませんでした。イエス様は、どちらが父親の望みどおりにしましたか」と問うと、神殿にいた祭司長や民の長老たちは「兄の方です」と答えました。イエス様は、天国に入るには、あなたたちではなく、考え直した、すなわち悔い改めた徴税人や娼婦たちだと言いました。
 
 1学期の結果が通知表という形で、手渡されます。その結果を踏まえて、もし直さなければいけないところがあれば、「考え直して」二学期に備えてください。自分は、大丈夫だと思っている人は、ここの律法学者や民の長老のことを考えて、少しでも自分自身の振り返りにこの結果を役立ててください。日々聖書のみ言葉を自分にいただいた言葉として、夏休み中も過ごしてくださいね。

 さて、いつも1学期の終業礼拝では、8月15日の終戦記念日に事を覚えて、平和についてのお話をさせていただいています。先日「真珠湾攻撃総隊長の回想―淵田美津雄自叙伝」を読みました。そこからの抜粋です。
 1941年12月8日未明、日本海軍は、アメリカ合衆国のハワイにあるアメリカ海軍の太平洋艦隊とその基地を奇襲攻撃しました。太平洋戦争の始まりです。この時の総司令官は、淵田美津雄(ふちだ みずお)中佐でした。淵田美津雄は18歳で海軍兵学校に入り、以後、戦闘機のパイロットとして祖国日本へ忠誠を尽くします。「海軍兵学校に入ったとたんに、お前の将来の敵はアメリカだと教えられた。以来17年、一剣をみがいたのは、この敵とまみえるためであり、真珠湾奇襲攻撃は、だまし討ちだの侵略戦争だなどとの後ろめたさは、みじんももっておらず、「奇襲開始!」(トラ・トラ・トラ)と報じた心はさっそうとしていた。」と語っていました。
 一方、真珠湾攻撃があったことを知り、「ジャップ(日本人の蔑称)、やりやがったな、俺も仕返ししてやるぞ」と決意した男がいました。アメリ合衆国のオレゴンで生またディ・シェイザーです。彼は、憎い日本に仕返しをするために、敢えて危険な任務に志願します。それは、空母に乗って日本に接近し、爆撃機で東京を攻撃するという極秘任務でした。真珠湾攻撃から半年後1942年4月18日、東京を爆撃するために、爆撃機に乗り込みます。爆撃機にアクシデントがあり、彼の乗った爆撃機は、目標を名古屋に変更します。名古屋の工場地帯に爆弾を落とした後、そのまま日本を横断して中国の飛行場に着陸予定でしたが、飛行機のガソリンがなくなり、飛行機を捨てパラシュートで脱出します。直に日本軍に見つかり捕虜になります。仲間8人とともに日本の軍律会議で、3名が銃殺刑、ディ・シェイザーを含む残り5名は、無期監禁になりました。銃殺刑になった仲間、監獄で栄養失調のために死んだ仲間、監獄での殴るける暴行と彼は、心の底から日本人に、憎しみを持ちました。「日本人と名のつく奴は、全部地球上から消えてなくなれ」と彼は、日本人を呪いました。
 憎しみが絶頂に達したころ、彼は、何が日本人をアメリカ嫌いにさせたのか、何がアメリカ人を日本嫌いにさせたのか、立ち止まって考え始めます。そして、子どものころ教会で聞いた話を思い出します。人間同士の憎しみを、本当の兄弟愛に変えることができるのがイエス・キリストであることを思い出します。彼は、聖書を読みたいと思い、看守に頼みます。当然そのような要望は無視されますが、毎日々、看守を見るために、彼は狂ったように聖書を読みたいと訴え続けたました。そして、2年後一人の看守がキング・ジェームス訳の聖書を3週間という期限付きで与えました。彼は、熱心に聖書を読み、聖書のみ言葉に、心を変えられていきました。
「時は満ちた、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)

「自分の口でイエスは主であると告白して、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえられたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ10:9-11)
読むたびに、聖書の言葉が身にしめてきました。

 捕虜になって2年後、彼は、自分の行き方を振り返り、自分の考えをまったく変えたのです。考え直したのです。そして、イエス・キリストを信じて、新しくされました。今までの日本人に対する見方が変わりました。日本人に対する憎しみが、愛へ変わったのです。自分たちを苦しめた日本人は、救い主イエス・キリストを何も知らないからなのだ。
 戦後彼は、アメリカに戻り聖書を学び、再び来日します。1948年、イエス・キリストを伝える宣教師となって、戻ってきたのです。
 淵田美津雄は、戦後4年たった1949年彼の誕生日に、渋谷の駅前で、その宣教師ディ・シェイザーの配る「私は日本の捕虜だった」という小冊子を受け取ります。
 淵田美津雄は、「真珠湾攻撃」とい言葉に惹かれて、その小冊子を読み、更に聖書を読みたくなりました。聖書を買い求め、夢中になって読み進めているとイエス・キリストが十字架につけられる場面に出くわしました。十字架の上でイエスは「彼らをお赦しください。彼らは何をしているかわからないからです」という、場面です。その時、淵田はあることを思い出しました。
 戦後、アメリカに捕らわれていた日本軍捕虜が送還されてきました。その捕虜たちにアメリカ軍の扱いを聞きだしたことがありました。戦争に勝って、一方的な裁判をするアメリカを憎み、アメリカ軍の非人道的な扱いをあぶりだしたかったためです。ところが、ある日本人の捕虜から、20歳前後の娘さんが日本の捕虜のために親切の限りを尽くしてくれたとい話を聞きます。日本人の捕虜は娘に「どうしてそんなに親切にしてくれるのですか」と問うたところ、
 彼女の両親は宣教師でフィリピンにいた時に、スパイと間違えられて日本軍隊によって殺された、というのです。娘の名前は、マーガレット・コヴェル。両親は、戦前関東学院で教え、平和主義者で戦争反対を唱えていた宣教師でした。戦争が始まる前に、引揚勧告に従って、日本からフィリッピンに移ります。
 マーガレットも、両親の死のことが伝えられた時、日本人を酷く恨みました。ところが、娘さんの両親は「どうしても斬るならば、せめて死ぬ支度をしたいから30分の猶予をください」と言い、その30分間に聖書を読み、神に祈った」という話を聞きました。マーガレットは、両親が殺される前の祈りに思いを馳せました。マーガレットの気持ちは、憎悪から人類愛へと転向したというのです。
 淵田は、「彼らをお赦し下さい」という、「彼ら」の中に自分が含まれていることに、気が付き、その言葉に胸を突き刺されました。1950年2月26日、48歳の時、淵田は、今までの行き方を変え、自分の罪を悔い改め、洗礼を受けます。そして、彼はキリスト教を伝える伝道師となります。
 日本とアメリカの二人の軍人が自分の罪を悔い改めました。そして、二人ともイエス・キリストの愛を伝える仕事に携わったのです。今日のたとえで言えば、「兄のほう」です。彼らは、日本とアメリカは、キリストの愛によって理解できるのだという、信念に基づき平和をつくる努力をしていきました。   
 1927年日中戦争がはじまった記事を新聞で知った河井道先生は、教室に入るなり「私は戦争反対です。軍人たちは日本の方向をあやまらせています」と言われました。恵泉で学ぶ一人一人が、8月15日を迎えるときに、このことも覚えていただきたいと思います。暗誦聖句のマタイ5章6節は、新共同訳ではこのように書かれています。
「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子どもと呼ばれる。」