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校長ブログ

高校礼拝 ーわたしにつまずかない人は幸いー

2015/06/02
北門の池に咲く睡蓮

北門の池に咲く睡蓮

讃美歌 280
諳誦聖句 交読文 29 詩121篇 8行まで
聖書 ルカによる福音書 7章18節から35節
お話 わたしにつまずかない人は幸い
賛美歌 546

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 バプテスマのヨハネは、自分の弟子たちをイエス様のもとに遣わします。イエス様が、ローマの百人隊長の部下の病を癒やし、やもめの母親の一人息子をよみがえらせ、人々が「大預言者が我々の間に現れた」、「神はその民を心にかけてくださった」と言う様子を弟子たちから聞いたからです。そして、こう言わせます。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」と。バプテスマのヨハネは、なぜ弟子にこのような問いを言わせたのでしょうか?今朝読んで、一番気になった箇所です。
 なぜならバプテスマのヨハネは、イエス・キリストの先駆者であり、イエス様の道を備える者であったはずだからです。バプテスマのヨハネが荒野で人々に悔い改めの説教をしているとき、自分の方に歩いてこられるイエス様を見て、
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」(ヨハネ1:29-30)
と言っています。これだけの強い確信を持っていたバプテスマのヨハネなのですから、冒頭述べた問いは、出てこないはずです。ヨハネは、ヘロデ王に自分の兄弟の妻をめとるのはよくないと言ったため、捕らえられた牢獄にいました。ヨハネは、強い正義感とそれを行動に移す積極性があります。何がヨハネを変えたのでしょうか。牢獄での生活がヨハネに、メシアとしてのイエス様に対する疑念を起こさせたのでしょうか。ヨハネの心に揺らぎが生まれたのはなぜなのでしょうか。
 ヨハネは会衆に向かってこのように言っています。
「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(ルカ3:16)この次の箇所です。
「そして、手に箕(み)を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」(同17節)
 箕とは、「穀物をふるって、穀物のからやゴミを振り分けるための道具」です。食する部分と不要な部分を選(え)り分ける道具です。バプテスマのヨハネは、イエス様が偽善的なファリサイ人や支配者として君臨しているローマ兵たちをもみ殻やゴミを振り分けるように、正しい人から分け、きちんと裁くことを期待していたのではないでしょうか。ところが、イエス様はファリサイ人を罰することもせず、ローマに対しても天からの軍勢を送り力で対抗しようともしません。もしイエス様が神の子なら、このようなことはいとも簡単にできるはずです。ヨハネは、イエス様が正義と悪をはっきりさせて、悪を皆地獄に投げ入れ、消えることない火で焼き尽くすメシアとして、期待していたのではないでしょうか。
 しかも、イエス様は捕われになっている自分に対しても何ら救いの手立てをとろうともしない。これが、自分たちの待つ希望の救世主メシアなのか。自分の命さえ何時尽きるかもしれない獄中のヨハネにとって、イエス様が本当は誰なのか、切実な問題だったのではないでしょうか。正義を貫きたいヨハネに、信仰の揺らぎを引き起こしたのではないでしょうか。ヨハネの人間的な弱さが現れてきても不思議ではないのです。
 イエス様は、そのようなヨハネを知っているからこそ、ヨハネの弟子に告げるのです。
 「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」
 これらの出来事だけで十分ではないかとイエス様は言われるのです。福音が世界に広がることが肝心で、神の国は福音に触れた人々の心の中にできるのだ。実を結ばない者を一掃する時は、今ではない。だから、
「わたしにつまずかない人は幸いである。」(ルカ7:22,23)と付け加えます。
 イエス様が弟子に裏切られ、逮捕される場面があります。
「人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。』」(マタイ26:50-52)
 イエス様の言う「剣を取る者は皆、剣によって滅びる」とは、武力による解決は、解決にならない、ということです。イエス様の伝える神の国は、武力の行使では決してやってこない。平和を作るためには、軍事力は用いてはならないことをこの御言葉は、教えています。戦後70年になる今年です。歴史を振り返り、平和に思いをはせたいと思います。
 そのようなヨハネに対してもイエス様は、愛の眼差しで言葉を贈ります。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。(7:27、28)