校長ブログ
6月3日(月) 牧師・教会関係者との懇談会、開会礼拝
讃美歌 214
聖書ヨハネ4:36-38
刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
祈り
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初めに、先週起きた登戸での悲しい出来事を覚えて、皆で祈りを捧げましょう。
(祈り)
キリスト教学校の一番の目的は、公教育を行ないながら、生徒をイエス様に結びつけることです。公教育の機関が福音を伝えることができる。これを明治時代の宣教師が聞いたら目を丸くして驚く事柄ではないでしょうか。主を賛美することでしょう。
そして、教会の働きは、イエス様に結び付けられた生徒とともに、日曜日に礼拝を捧げることと信仰の成長を助けることです。その逆もあります。教会でイエス様に結びついた子どもたちをキリスト教学校が聖書の価値観を持って育てることです。教会は、キリストの体です。キリスト教学校もキリストの体を作っています。
しかし、私たちキリスト教学校が必ずしも、積極的な伝道活動ができていず、悩むことがあります。キリストの名前を冠した学校がイエス様への橋渡しにならず、礼拝の内容自体が問われることがあります。
それでも、学校で聖書が拝読され、讃美歌が歌われ、イエス・キリストの御名による祈りが捧げられれば、このひと時は礼拝だと考えてもいいのではないでしょうか。
実際に神様は、日々行われる礼拝の営みにふさわしい、いやそれ以上の予想外の恵みを学園に与えてくださいます。
毎年何人かの在校生が信仰告白をして教会で受洗をします。卒業生が信仰を纏(まと)って戻って来ることがあります。また、信仰を持つに至らなくとも、友達を誘いあい恵泉の礼拝に、参加したいと連絡して来る卒業生もいます。
彼女たちを信仰に導く多くの祈りがあったことでしょう。
「刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである(36節)。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。(38節)。」神様の不思議な、そして、尊い御業に感謝いたします。