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修養会閉会礼拝 ーその力をもって行くがよいー

2014/09/05
朝の体操

朝の体操

士師記 6章11節から18節
讃美歌 30
お話  その力をもって行くがよい  
讃美歌 453
祈り

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 修養会の扉を閉じるときがやってきました。しかし、閉じるということはこの修養会で考えたこと、友と語ったこと、決意したこと、示されたことを封印することではありません。むしろそれらが力の糧となり、次の扉を開く起爆剤となるでしょう。あなたが開く次の扉は、どんな扉でしょうか。新約聖書は、イエス・キリストの言葉が私たちの道であり真理であり命であることを示しています。旧約聖書でも神の言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯です。このことを踏まえて閉会礼拝では、旧約聖書の士師記を選びました。
 士師記は、旧約聖書では第7番目の書物です。英語の書名は、Judges(裁く者)です。人間同士のトラブルを仲裁する審判者という仕事もあったようですが、むしろ苦境にあったイスラエルを救うもの、救済するものというのが一義的な目的でした。「救済者たち」と言ってよいかもしれません。
 士師は、イスラエルの民が約束の地カナンに入いり、まだ王がいない時代に、王の代わりにイスラエルを治めたリーダーたちについて語られています。士師は、オトニエル、エフド、シャムガル、デボラ(女性)、バラク、ギデオン、トラ、ヤイル、エフタ、イブツアン、エロン、アブドン、サムソンの13人です。イスラエルの初代の王サウルの即位で士師の働きは終わります。今日取り上げる人物は、この6番目がギデオンです。神のギデオンの取り扱いから、私たちの神の取り扱いについて学びましょう。
 偶像礼拝を行うミディアン人がイスラエルに侵略してきました。イナゴのように、という例えがでてきます。イスラエルの富を略奪し、土地を荒らしました。神は、イスラエルを助けるために一人の士師を立てようとします。彼の名は、ギデオンです。ギデオンは、「破壊者」「強力な戦士」「伐採者」という意味があるそうです。神からの召しがあったとき、ギデオンは、酒船の中で小麦を打っていました(11節)。本来酒船は、葡萄酒をつくるために葡萄を足で踏む施設で、多くは岩をくりぬいて作ってあったそうです。小麦は、脱穀をするため風が通る外で行われていました。この記述からわかることは、ギデオンは、ミディアン人を恐れて、酒船に身を隠しながら仕事をしていたということです。そこに主の御使いが現れて「勇者よ」と声をかけるのです。
12節「勇者よ、主はあなたと共におられます。」
「主はあなたと共におられます。」は慣用句だとしても、神がお前と一緒にいるのだよ、と言う御使いの宣言はこれから大きな使命がギデオンに与えられるという予感を感じさせます。そして、その使命が「勇者よ」との声かけで、いっそう強いものであることがわかります。
14節「主は彼の方を向いて言われた。あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
 神が直接ギデオンを見て言われたのです。それに対してギデオンは、
15節「彼は言った。『わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。』」
 彼は、神の命令を取り下げてくれるようにお願いします。理由は、自分の一族はマナセ族のなかでも最も貧弱で、自分はその家族の中でも年齢が低いというのです。自分には、到底イスラエルを救うことはできないと消極的です。
 彼は、自分の一族は、ひ弱で自分自身にも力がないと知っていました。神は、大言壮語するような人間ではなく、自分には力がないと自覚したときに、初めてその人を用いられるのです。そして、励まし、支え、与えられた使命を遂行できる力を備えてくださるのです。神は、目立たない一族から一番非力な若者選び、イスラエルの解放に用いました。
16節「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」
 敵は大勢のように見えるけれども、たった一人を相手にするようなものなのだ、と励まします。大勢と戦うのではなく、一人と戦うのと同じだと言って、戦いが決して困難でないことを示します。
18節「主は、『あなたが帰って来るまでここにいる』と言われた。」
のです。私は、おまえを決して見捨てはしない。お前が使命を終えて帰ってくるまで、私はここで待っている。「ここで待っていてあげよう」というのは、大変心にしみいる言葉ではないでしょうか。一日働いて帰宅する暖かい家庭のようです。昨日の報告会で「幸せ」についてディスカッションしたグループが、幸せは「ただいま、お帰りといえる帰れる家がある。」ことだとまとめていました。 
 初めギデオンが率いる民は3万2千人でした。これを見て神は、多すぎるといわれました。大軍での勝利は、自分の強さを誇り、心はおごってしまうからでしょうか。2万2千人を帰らせました。そして、1万人が残りました。それでも神は、多いと言うのです。ギデオンは、300人の精鋭を選びました。初めの人数の100分の一です。ギデオンは、300人を100人づつの三隊に分け、ミディアン人と戦います。攻め方がまた、変わっています。全員に角笛と松明(たいまつ)を入れた空の水瓶を持たせたのでした。角笛を鳴らし、敵陣で水瓶を砕き、松明の火で煌々(こうこう)と周りを照らしたのでした。そして、選ばれた戦士たちは「主のために、ギデオンのために剣を」と叫んだのです。夜陰に乗じての攻撃は、相手の同士討ちを誘い見事な勝利をイスラエルにもたらします。
 士師記のギデオンの話は、昔話では決してありません。偶像礼拝を行うミディアン人は、私たちの心に宿る敵の例えです。私たちの心には、自分中心の神様にふさわしくない思いという偶像があります。
 ギデオンの勝利は、神を信じる私たちの信仰の有り様を示しています。信仰は、数や力の大きさではなく、一人一人が本気であり、心構えがしっかりしていればいいのです。数の論理が成り立たないところに信仰の本質があると思います。
 打ち砕いた壺は、私たちの心の偶像を粉々にする必要があることを教えてくれます。私たちは、自分の考えを捨て、自我を打ち砕く必要があるのです。松明の光は、打ち砕かれた後に宿るイエス様の象徴です。イエス様ご自身が光となって、心のうちに宿ってくださいます。イエス様の光は、人を明るく輝かせるのです。これは、「汝の光を輝かせ」という河井道先生が卒業していく生徒に贈った言葉です。マタイ5章14節「あなたがたは世の光である。」
 そして、角笛は、神を賛美するトランペットの響きなのです。
午前中のクラス感想会で「死ぬとすべてが無駄になるのに、人はどうして生きるのだろうか」という問いを投げかけた人がいました。それを考えることが生きることだと私は思います。信仰的に言えば、復活の希望にあずかるために、私たちは生きるのです。トランペットは、復活の勝ち鬨です。ギデオンが勝利した松明と角笛は、信仰の勝利の象徴です。
 この修養会を終えて一人一人にこのような言葉をかけたいのです。
 14節の御言葉です。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。
 文語体では、「汝(なんじ)此汝(このなんじ)の力をもて行き」「我(われ)汝を遣(つか)わすにあらずや」とあります。今あるその力でいいのだ。余計なものは何もいらない。お前を使わすのは、主なる神、私なのだから。この言葉はなんと愛のこもった、しかし力強い言葉なのではないでしょうか。
 修養会が終わると卒業まであと半年です。
 本当の挑戦はここからです。あと半年。知力も、気力も、体力も、持てるもの全てを、新たな扉を開くために、夢を叶えるために、持てるものすべてをこの恵泉で出し尽くそうではありませんか!