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校長ブログ

同窓会クリスマス会で礼拝のお話をさせていただきました

2016/12/05
いいお天気でした

昼:いいお天気でした

クリスマスツリーが輝きます

夜:クリスマスツリーが輝きます

 

賛美  「友よ歌おう」より「世界ではじめのクリスマス」
聖書  ルカによる福音書 2章8から12節
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
お話  「あなたがたへのしるし」
賛美  讃美歌262 「十字架のもとぞ いとやすけき」

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 クリスマスおめでとうございます。
クリスマスは、心の暗闇に光を与えてくれます。クリスマスは、心を歌で満たしてくれます。
 この絵をご覧下さい。絵を描いた画家は、ファン・ホントホルストという人です。1592年に生まれのオランダの画家です。みどりごイエスさまが光の源となり、人々を照らし出しています。優しさと平安さを浮かべたお母さんマリアの表情。家畜小屋の牛の頭に手を置いているお父さんのヨセフ。イエスさまに手を合わせて祈っている初老の羊飼い。顔にも額にも生活の苦労であるしわがくっきりと陰影をつくっています。横顔が喜びで溢れて、その喜びを伝えているかのような羊飼いの少年。光と暗闇のコントラストが暗い世にある希望と救い主誕生の喜びを見事に描いています。暗い時代にあっても、いや、暗い時代だからこそ、主イエスさまの確かな救いのしるしが、ここにあります。
(1)「あなたがたのしるし」は、飼い葉桶にありました。
なぜ、イエスさまは、家畜小屋でお生まれになったのでしょうか。彼らには、居場所がなかったからです。住民登録をする人たちで町が溢れていたのかもしれません。しかし、彼らを泊める場所は用意されていなかったのです。ルカ 2:7に、こう書かれています。 
「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
 私は思うのです。臭いとか汚いとかは、何が基準なのか。豊かさを追いかけてきた私たちは、大事なものを置き忘れてきてしまった。イエスさまが王宮でも神殿でも、お生まれにならなかったのは、家畜小屋が一番きよい場所だったからなのです。宮殿、神殿も御子が眠る聖なる場所でなかったのです。世界で初めのクリスマスは、世界で一番きよい場所での出来事だったのではないでしょうか。神さまの私たちに対する愛の形がイエスさまです。神さまのきよい、聖なる愛を示すイエス様の誕生は、世界で一番きよい場所でなければならなかったのです。世界で初めのクリスマスは、世界で一番きよいところで祝われました。
(2)「あなたがたのしるし」は、初めに羊飼い示されました。
私は、カトリックの幼稚園にかよっていました。クリスマスの時、イエスさまの降誕劇がありました。私の役は、羊飼いでした。ボロボロの服を着せられ、杖を持たされた羊飼いのうちの一人でした。3人の博士役の園児もいましたが、みんながきらびやかな服を着せられ、王冠まで頭に載せられているのをみて、羨ましく感じた記憶があります。羊飼いには、なりたくないという気持ちがありました。そんな思い出が生誕劇にはあります。
 確かに、羊飼いたちは、貧しく、身分の低い者でした。宗教的、社会的にも差別を受け、経済的には最下層の人たちでした。しかし、天使がイエスさま誕生を告げたのは、羊飼いでした。王様でも祭司長でも律法学者でもありませんでした。なぜなのでしょうか?
 神さまは、へりくだった者に現れるのです。羊飼いは、心のへりくだった人々でした。そして、自分のつとめが、神さまから与えられたもので、自分の環境に満足していました。彼らは、神さまの御心を行う者たちだったのです。
マタイによる福音書5:8には、こう書かれています。
「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」
天使たちが、羊飼いに現れたのではなく、羊飼いだけが天使をみる事ができた、と考えても不思議ではありません。
神さまの力は、弱さに働くのです。暗闇に生きる人にこそ、神さまの御栄光が現れるのです。
(3)「あなたがたのしるし」は、十字架へと続くしるしです。
ヘンデル作曲のメサイヤの18番は、「主は羊飼いのようにその群れを養い」というイザヤ書40章11節の預言をアルトが歌うところから始まります。
「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」
 そして、ソプラノが続けてマタイ11章28.29節を歌います。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(マタイ11;28,29)
お時間があったらメサイヤをどこかで聞いて頂ければと思います。
 11月9日(水)の礼拝で中山学園長が「自分そのものが暗闇である」とお話ししてくださいました。その時の賛美歌が、262番でした。
一節 十字架の下(もと)ぞ いと安けき
    神の義と愛の あえるところ
    嵐吹くときの 巌(いわお)の陰(かげ)
    荒野(あれの)の中なる 我が隠れ
涙がこぼれました。十字架こそ、嵐吹く時の巌の陰であり、荒野の中の私の隠れ家なのです。
飼い葉桶の布にくるまった神の御子は、ゴルゴダの十字架で私に対する愛を示してくださったのです。それが「あなたたちへのしるし」であり、「わたしへのしるし」なのです。