校長ブログ
中学校第69回卒業式
恵泉女学園中学校第69回卒業式 2016/03/16
讃美歌 534番
聖書 コリントの信徒の手紙二 3章1〜3節
式のことば わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です
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恵泉女学園の主、イエス・キリストに感謝し、御名をほめたたえます。卒業していく3年生191名の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様、お子さまの卒業を心よりお祝いいたします。
卒業生全員の英語による諳誦(詩編23篇)、は、見事でした。このPsalm23は、キングジェームスの英訳です。荘厳で格調高い文体で知られているものです。若い時に、あなた方の記憶に刻まれた聖書の言葉は、一生の記念となるでしょう。日本語では、このようになっています。
23: 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
:2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
:4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。
:5 わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。
:6 命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。
羊には良い羊飼いが必要です。“良い羊飼い”とは、羊を狼という危険から守り、青草や水という恵みのある場所に導くのです。羊とは、人間のことです。良い羊飼いとは神さまのことです。神さまに導かれる私には、何も欠けるものはないと、作者ダビデは歌うのです。旧約聖書の言葉ですが、“主”とはイエス・キリストを表しています。主イエス・キリストに従う生活の恵みと心の平安について歌っているのです。
イエス様がこの地上で初めて起こした奇跡は、何でしょうか。 それは、ヨハネによる福音書の2章に書かれている、ガリラヤのカナで行われた結婚式です。結婚式の宴会で、大切な葡萄酒が足りなくなりました。イエス様は、「石の水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われ、召し使いたちは、水がめの縁まで水を満たしました。この水がめは、80リットルから120リットルの容積で6個あったそうです。さて、水がめから水を汲み出してみると葡萄酒に変わっていたのです。宴会の世話役は「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」と驚いたのでした。 イエス様は、結婚式という人生で一番の晴れ舞台となる素晴らしい日に、水を晴れの日に相応しい上等なぶどう酒に変えられたのです。卒業式も結婚式と並んで大切な晴れ舞台です。あなたがたは今、自分が香り高い上等なぶどう酒に変化したことに気づいているでしょうか。
恵泉の教育の特徴は、聖書・国際・園芸を柱とした特別な教育プログラムがあることです。 まず聖書です。毎日の礼拝は、自分の心を見つめる時間です。先輩や友達の感話を聞いて、自分の考えを深め、自分自身を振り返る時間となっています。そして、自分でも感話を書きます。3年間で、自分の心の中をのぞくことができましたか。自分が何者であるか、わかりはじめましたか。毎朝、たくさんの讃美歌を歌いました。讃美歌は、これからの人生の苦しい時にあなたを慰め、あなたに元気を与える応援歌となるでしょう。また、聖書の言葉は、あなたの人生の道標となり、あなたの歩く足元を照らす灯火となるでしょう。 次に国際です。今年度の平和学習では、戦後70年という節目を迎えたこともあり、沖縄普天間基地の辺野古移転問題に関するドキュメンタリー映画を観ました。130分という長い映画でしたが、今の沖縄辺野古の状況を知り、沖縄について、平和について考えることができました。「平和ウォーク」では、ハンセン病療養所患者の人権について考えました。この中にも、たくさんの高校生に混じって参加した人がいますね。元ハンセン病患者である方を講師に、ハンセン病療養所である多摩全生園と、隣接する国立ハンセン病資料館を訪問、見学しました。かつて恵泉では、岡山にあるハンセン病患者施設「長島愛生園」に、長期の献金を行い、「恵泉寮」という寮を建てたという記録があります。歴史が継承されていることを知ることは、嬉しいことです。また、毎月自分の御小遣いから献金をし、古切手を集めて学校に行けないフィリッピンの子供達の里親を3年間勤めました。 このような活動を通して、本当の平和の実現とは、ただ戦争がない状態をつくるだけではなく、貧困や差別や抑圧のない世界を自分たちの手で少しでも築き上げることだと知りました。隣人を愛することが真の平和であることを学びました。グローバル化という言葉が盛んに使われますが、恵泉の目指すグローバル化は、隣人を愛し共に平和に生きる、という考え方に裏打ちされたグローバル化です。あなたがたは、その学園の理念を受け継ぐ者となりました。 最後に園芸です。1年生の時の園芸で、命の大切さと、友達と共に額に汗して働く喜びを見つけました。収穫した野菜は、とびきり美味しかったと思います。世田谷の一等地で育てた野菜は、格別であったと思います。 恵泉の中学3年間は、園芸が象徴するように、心を耕した3年間だったのです。
新訳聖書が書かれた時代、人をどこかに派遣する時、送る人物の推薦書を付けるという習慣があったようです。パウロがまだサウロと名乗り、キリスト教会を撲滅させるためダマスコに行った時は、推薦状を持って行ったということが、「使徒言行録」に記されています。 パウロはキリストの教えを伝える宣教師として、コリントに行き、教会を建てました。パウロは、推薦状を持っていませんでした。必要もなかったのです。なぜなら、パウロからイエス・キリストの教えを受けたコリントの信徒自体が、パウロの推薦状となったからです。コリントの人々は、キリストの福音に触れ、人として大きく変わりました。その人たちを見てくれ、というのです。時が経つと薄れてしまう墨によって書くのでも、やがて朽ちてしまう石の板に書くのでもなく、生きて働きたもう神の霊によって善きものとなった、コリントの一人ひとりが推薦の手紙だというのです。
3年前、神様に選ばれて恵泉女学園中学校に入学した一人ひとり、あなた方は恵泉で変えられたのです。身長も高くなり、心も豊かになりました。これからの世の中は、予測が非常に困難な時代を迎えると言われています。心配はいりません。あなたがたは、今は完璧ではありませんが、将来の可能性、伸び白を含んで完璧なのです。 あなた方は、神さまと恵泉女学園の推薦状たるに相応しい者となりました。聖書、国際、園芸が恵泉の教育を推薦するものではありません。恵泉で学んだあなたがた一人ひとりが、恵泉女学園の教育を推薦する手紙なのです。恵泉から、世の中へ送る推薦状なのです。画家は絵によって知られ、作曲家は曲によって知られます。学校は、卒業する生徒によって知られるのです。 河井道先生は、恵泉の宣伝はほとんどなさらないで、生徒たちに「あなた方が恵泉の看板娘です。」と言われたそうです。あなたがたは、恵泉という土壌で、神さまによって育てられた、どこに出しても恥ずかしくない15歳なのです。 もう一度今日の聖書をお読みします。 「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。」