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校長ブログ

牧師・教会関係者との懇談会 開会礼拝

2017/06/06

牧師・教会関係者との懇談会 開会礼拝
讃美歌 6
聖書 創世記15:5、6
説教 「主は外に連れ出した」
祈り

:5 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
:6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

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15章6節「アブラムは主を信じた。」の「信じた」は、アーメンと同じ語根を持つ言葉だそうです。「主はそれを彼の義と認められた」は、私たちの信仰の原点です。信じることによって人は義とされる、という神様の愛の奥義を感じざるを得ません。
新約聖書では、創世記15:6を引用している箇所が数箇所あります。特に、ローマ4:22−24は、このように書かれています。
:22 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。
:23 しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、
:24 わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。
この聖句は、パウロが旧約聖書に隠された奥義を見事に新約聖書に結合させ、より深い神の恵みを解き明かした箇所ではないかと思います。

 1節には、「主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ」と書かれています。このときアブラムは、天幕の内で眠っていたのでしょうか。幻の中でアブラムの悩みが神様へ述べられています。彼の苦悩は、自分には子供はなく、家の僕が跡を継ぐことになる、というものでした。そのとき、再び言葉あったのです。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」(15:4)
 私は、聖書を読んでいると次の一節が心に留まりました。
5節「主は彼を外に連れ出して言われた」特に、「主は彼を外に連れ出して」の部分です。
 天幕の内側で悶々と悩みに打ちひしがれていたアブラムを、神様は「天幕の外に連れ出した」のです。アブラムが連れ出された天幕の外は、見事な星空でした。時代は、数千年の開きはありますが、今私たちが見上げる星空とまったく同じ夜空だったのです。私たちも、今この星々を見ることができるのです。この天地を造られた神様のわざを見るためには、天幕の外に出なくてはなりません。

 私は、学校と教会も同じ関係にあるのではないかとそのとき思いました。どちらが天幕の内側でどちらが天幕の外側かは、生徒によって異なるでしょう。教会学校に通って、恵泉に導かれた生徒、あるいは恵泉に入学して教会へ導かれた生徒。いずれにしても「主が外に連れ出し」大きな御業を見せて下さるように切に祈ります。
 問題は、いつでも多種多様に存在します。しかし、恵泉の生徒の恵まれた環境を感謝しました。異なる環境で神様の偉大なわざと恵みに預かることができる、信仰の歩みを進めることができるのだと感じました。
 神様の力強い導きによって、アブラムがパウロがそして今日の信仰者が得た信仰の本質を生徒たちにも自分のものにしてもらいたいと思いました。
 今回の教会と学校の懇談会が、生徒たちの信仰への歩みに関わる手助けができるように、祈ります。