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校長ブログ

新年始業礼拝「勝って余りある」

2017/01/10
香を放つ水仙と蝋梅

香を放つ水仙と蝋梅

讃美歌 9
暗誦聖句 交読文7
     地とそれに満つるもの、
     世界とそのなかに住むものとは、みな主のものなり。
聖書 出エジプト記 4:1-17
お話 「勝って余りある」
祈り
黙祷

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 新年が明けました。みなさんは、今年をどのような年にしたいと思いますか。新年の1月は、1年のスタートとして、立ち止まって自分の目標を立てるという意味では、絶好のチャンスの時です。
 「目標は、予測ではなく、意志である」という言葉を聞いたことがあります。目標は、「こうしたい」という見通しではなく、「このようにする」という強い意志だというのです。
 聖書では、私(自分)の意志ではなく神様の意志を第一に考えます。神様がどのように、自分に働きかけているか。私たちは、どのようにその声を聴き、どのように従うか。そしてどのように努力するかがいつも問われています。
 今年は、西暦2017年です。2017とう数字は、素数です。素数とは、「1と自分自身以外に約数を持たない自然数」です。素数は、2、3、5、7、11と続いていきますが、2017は、2から数えて306番目の素数です。素数はその定義から当然ですが、2つの約数によって挟まるどんな自然数で割っても、商(割り算の答え)を自然数とするなら、必ず余りを持ちます。2017を2以上2016以下の“2015個”のどの自然数で割っても、必ず余りが出ます。

   2017÷2=1013 余り1

   2017÷3=672 余り1

   2017÷4=504 余り1

   2017÷5=403 余り2

     ……………

   2017÷1009=1 余り1008(一番大きな余り)

     ……………

   2017÷2016=1 余り1

となります。素数は、「割って余りある」数です。
 昨年の12月から出エジプト記を聖書日課として、通読しています。出エジプト記の中心人物は、御承知の通りモーセですが、出エジプト記の中から、モーセの意志ではなく、「こうするのだ」という神様の意志を年の初めに学びたいと思います。
 それは、80年前のモーセの誕生に遡(さかのぼ)ります。神様のご計画によって、モーセは、エジプト王ファラオの王女の子として育てられます。モーセは重労働を課せられていたヘブライ人を助けるため、エジプト人を打ち殺してしまい、ファラオの怒りから逃れるためミディアン地方に退き、そこで結婚します。ある日、仕事で羊の群れを飼っている時に、ホレブ山で神様から、イスラエルの人々をエジプトの地から、乳と蜜の流れる理想のカナン地に導くようにと、直接命令を受けます。モーセの使命は、神様の御計画を達成するために、神様の強い意志によって、実現されていきます。
 しかし、モーセは神様からの命令と自分の使命に、非常に消極的で、自分がふさわしくもなく、自分には到底できないと、否定的な理屈をいくつも並べ、尻込みします。拒絶すると言った方がいいくらいです。
 今日の4章もモーセの否定的な考えから始まります。「『主はお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」(4:1)。
「わたしはもともと弁が立つ方ではありません。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです」(4:10)。
 その度毎に、神様は、丁寧に具体的な方法・方策を示して下さり、モーセを根気強く導きます。
 神様は、言葉だけでは実行に踏み切れないモーセに、一本の杖を与えます。「あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい」(4:17)と語りモーセを強く押し出します。この杖は、神様の助けであり力ですが、神様がご自身の目標を達成するための神様の意志とも考えられます。また、神の杖は、神様がそばにおられるという神ご自身の臨在の象徴でもあるでしょう。モーセが手にした神の杖は、次々にモーセの使命を実現していきます。今日は、2つ例にとります。
(1)エジプト王ファラオとの交渉において、杖は蛇に変わり、エジプトの魔術師の蛇を飲み込みます。神の杖は、ナイル川の水を血に変えます。蛙をエジプトの国にあふれさせます。ぶよでエジプトの国を覆います。雷を起こし、雹(ひょう)を降らせます。いなごの大群を風に運ばせます。
 幾つかの奇蹟の結果を経て、イスラエルの人々はエジプトからの脱出を赦されます。その時、エジプト人から多くの金銀の装飾品や衣類をもらうことができました(12:35)。
神の杖によって「勝って余りある」結果を頂きました。
(2)エジプトから逃れているイスラエルの人々が海の近くで宿営している時に、思いを変えたファラオは、エジプトの軍隊にイスラエルの人々の追撃を命じます。エジプトの軍隊が背後から襲いかかろうとしていたそのとき、モーセは、「主があなたたちのために戦われる」(14:14)と人々に語り、神の杖を高く上げて、手を海に向かって差し伸べます。するとどうでしょう。海が2つに割れて、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を通り、対岸にたどり着くことができたのです。その上、エジプトの軍隊は、元に戻った水に飲み込まれて、一人も残ることがなく全滅してしまいました(14:28)。これも「勝って余りある」出来事です。
 イスラエルの民の「出エジプト」は、旧約聖書の中でも最も重要な出来事の一つです。
 一本の神の杖によって、モーセはイスラエルの人々、男だけでも60万にという大所帯を見事にエジプトより連れ出すことができました。一本の杖に神様の意志が表されています。新約時代は、神の杖をイエス様が果たしてくれます。
 神様はイエス様に従う者に「勝って余りある」結果をもたらせてくださいます。私たちに与えられた今年の目標が神様からのものならば、イエス様を信頼する中で、イエス様が導いて下さり、それは必ず実現することになります。
 2017は、「割って余りある」数です。私たちもモーセのように、問題を多く抱えています。しかし、学園の主イエス様に信頼すれば、「勝って余りある」一年となるはずです。
 そして、当たり前のように思っていますが、今日私たちが生活しているのは、神様の意志です。私たちが恵泉で学んでいるのも神様の意志なのです。私たちはなんとなく生きているのではなく、神様があなたに託された目標をあなたが達成するために、神様の意志によって生かされているのです。イエス様をしっかり心に抱き、歩んでいきましょう。年の初めに、一人ひとりがこのことを確認してくださることを祈ります。