
校長ブログ
第74回 高等学校入学・始業礼拝 式のことば

満開の桜
第74回 高等学校入学・始業礼拝 式のことば
讃美歌 452
フィリピの信徒の手紙2:13-16前半
:13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。
:14 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。
:15 そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、
:16 命の言葉をしっかり保つでしょう。
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新高校1年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。また、保護者の皆様、新たな高校入学に際して心よりお慶び申し上げます。また、今日は多くのご来賓の方々がこの高等学校第74回入学・始業礼拝にご列席くださった事を感謝申し上げます。多くの方の祈りと支援によって恵泉女学園は今年で創立90周年を迎えることができました。私たちの信じる神様に、この神様の御業を心から賛美し感謝いたします。
今日の新高校1年生は、中高一貫校では4年生となります。187名の新高校1年生を高等学校に加えることができました。恵泉では、高校1年生を4年生と呼ぶことがありますが、もちろん中学4年生ではありません。昨年度で義務教育が終わりました。あなたは、自分の意志と御家庭の了承を得て、恵泉女学園高等学校に通うという決断をしました。この決断は、大きな意味を持ちます。決断は、主体性の顕著な現れだからです。
主体性とは、自分で考え、自分で行動を起こし、自分でその結果の責任をとることです。いつまでも人の所為(せい)にできないのです。
新高校2年生は、5年生ですね。ご進級おめでとうございます。高校の進級は、いくつかの条件をクリアーしなければいけないので大変だったと思います。これからは、恵泉デーの活動、信和会活動、クラブ活動、課外活動などで学校の中心的な働きを担います。リーダーシップを発揮する場面が多く出てくるでしょう。リーダーだけではなく、それぞれのグループの下支えという大切な役目も担うでしょう。それには、自分が周りを理解し、周りに自分を理解してもらうことが必要です。これは、忍耐と労力が要ります。良い訓練です。どうぞ十分に苦労してください。
高校3年生は、6年生です。ご進級おめでとうございます。いよいよ恵泉女学園中学・高等学校の最高学年として、恵泉6年間の締めくくりの年がやってきました。どうぞ「90年の学園の歴史を継承する者」という自覚を持っていただきたいと思います。自分の進路実現を目指した具体的な進学目標や卒業に向けての様々な目標を持っていることでしょう。目先の事だけにとらわれるのではなく、5年後、10年後を視野に入れた長いスパンの計画を持っていただきたいと思います。自分の考えでは収まらない、想定外の出来事に出会うこともあるでしょう。焦ることなく、辛抱し、あなたの願いを聞いてすべてのことを働かせて益としてくださる神様に信頼しましょう。神様は、あなたにとって最善の道をいつも用意して下さっています。
今日の聖書に、目を留めましょう。13節「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」
あなたの心に何かをしたい、という気持ちが生まれたならば、それは神様の働きです。神様があなたを選んだその時から、あなた方の心には、神様が働き、神様ご自身の思いをあなた方に望ませ、その行動を行わせて下さっているのだ、と聖書は語っています。
新改訳聖書ではこのように書かれています。
:13「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」
神様があなたを選び、神様の思いを「志」という形であなたの心に植え付け、行わせているのです。英語のKing James Versionでは、“to will and to do”となっています。
「志」とは、「士」と「心」からできています。ある方向を目指す気持ち、それが「志」です。字の形からするとそれは上を向いています。しかし、聖書を読むと、「志」は、神様の上から下の人の心に向かうのです。
14節「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。」と聖書は書いています。神様のこのような計らいに、納得がいかず不満を言ったり、言い逃れをしないで、従うことが大切です。さらに15節、16節前半「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」と書かれています。素晴らしい約束が保証されています。
創立者河井道の著書にこのような有名なエピソードが書かれています。河井先生がスミス女学園の生徒になって、しばらくのときです。スミス先生の英語の授業での出来事です。「わたしのランターン」 p67より
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わたしの引っ込み思案が、どうあっても直らないわけにはいかなかったのは、スミス先生がこれを直してしまおうと意をかたく決心しておられたからだった。先生はわたしの椅子を、丸一年ご自分の椅子のそばにおかせた。そして、わたしが大きな声ではっきり教場(教室)で答えられるようになりさえすれば、すぐにみんなのところに返して上げると約束された。わたしのーというより先生のというべきかー最後の勝利は、全く意外でもあり突然でもあった。わたしたちはナショナル・リーダーの第一巻を読んでいた。けれども、先生がどんなに骨を折っても、少女たちにも、婦人たちにも、およそ表情をつけて読ませることはできなかった。わたしは、みんなの単調な、抑揚のないよみ方を聞きながら、わたしがやればきっとスミス先生の通りにできるのだが、と思った。何かがわたしに、「勇気を出せ!」とささやいた。やっとの思いでだしなれない声をだし、顔をまっかにほてらせてアクセントも、発音も、スミス先生の通りに、まねて自分さえびっくりするほど、はっきりした声で読んだー
(中略)
スミス先生は、手をたたいて叫ばれた「よくできました。上できです、そういう風に読まなくちゃね」。そして、先生は、直ぐにわたしの椅子を、みんなのところにもどしてくださった。
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このとき河井先生は、神様からの促しを感じ取って大きな決断をしたのです。決断には、心のうちからの声(神様からの声)を聴くことと、少しの勇気が必要です。
河井先生は、志を与えられたのです。受身的だった先生の態度が主体的に何事にも取組んでいこうと生き方が変わった瞬間です。河井先生は、英語に興味を持ったばかりでなく、学ぶことに興味を持ったのです。そのことが、河井先生52歳のときに恵泉女学園という女子教育を行う学園を創立する根底になっていると思います。
学校生活のちょっとした機会にも、神様があなたの心に将来への志を与えているのかもしれません。この1年間は、皆に平等に与えられた時間です。神様の御声に耳を傾けながら、豊かな恵泉生活を過ごしましょう。