
校長ブログ
第75回 中学校入学式 式のことば

入学式朝の桜
第75回 中学校第入学式 式のことば 2019/04/05
讃美歌 90
聖書 ヨハネによる福音書 15章16、17節
:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
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新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。また、保護者の皆様、お嬢様のご入学を心よりお祝い申し上げます。また、今日は多くのご来賓の方々に、ご列席くださった事を感謝申し上げます。
今年は、桜の花は散ることもなく、新入生を歓迎してくれました。
新入生の皆さんは、これから6年間恵泉で学ぶ事になります。今日は、中学の入学式です。前半の3年間の入り口にたった所です。
3月の末まで、あなた方は小学生でした。今は中学生です。しかも恵泉女学園の中学生になったのです。何が変わったのでしょうか。今日の聖書の箇所には、このように書かれています。ヨハネによる福音書 15章16節「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」
新入生のご家庭が恵泉女学園の教育に賛同され、新入生一人ひとりが厳しい入学試験のために、準備し、努力をして受験しました。そして、合格して入学したのです。ですから、新入生の一人ひとりが恵泉を選んだ、と言ってもいいのに、実は、そうではありません。聖書は「あなた方が恵泉女学園を選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と言うのです。不思議ですね。
聖書の神様が新入生一人ひとりを恵泉女学園に導いたのです。この方をイエス様と言います。イエス様があなた方を選んだのです。このイエス様は、恵泉の本当の校長先生です。
それでは、イエス様は、あなたがたの行いが立派だから選んだのでしょうか。あなたがたの頭がいいからを選んだのでしょうか。あなたがたが可愛いから選んだのでしょうか。そうではありません。
聖書に「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように」とあります。あなたがたは、出て行って実を結び、その実を残す事ができる人たちだからです。神様の目に叶ったという方がいいのかな。
後ほど校歌を歌いますが、その1節にこのような歌詞があります。「友なき人の友となりつつ 沙漠に花を咲かしめなんと」、あなたは友のいない人の友のところに行きなさい、と書かれています。そのためには、自分と異なる人がいることを知って、その人を受け入れ、友とする温かい心を持つことが必要です。2節には、「諸族をとざすやみをやぶりて 平和の道をひらきてすすまん」とあります。あなたは、様々な民族、国々との友好関係を妨げる暗闇を打ち破り、平和をつくる働きの場所に行きなさい、ということです。異なった価値観・異文化を受け入れ理解する広い心を持つことが必要です。この温かい心、広い心は、若い時からでないと育つことのできない大切な心です。6年間で、あなたがたはその心を持つことができるようになります。
恵泉女学園の創立者の河井道先生は「わたしの生徒を通してわたしが国際友好のために貢献することはできないだろうか。戦争は、婦人が世界情勢に関心を持つまでは決してやまないであろう。それなら、若い人たちから、それも、少女たちから始めることである。」(「わたしのランターン」河井道 著)とお考えになり、恵泉女学園を創立なさいました。
今年は、神様から多くの新入生が招かれました。恵泉女学園中学校が始まって以来の6クラスになりました。みなさんが入学する前から、信和会の役員さんたちが第6番目の新入生のためのクラスの名前をみんなの意見を聞きながら決めてくれました。
一年生のクラスの名前は、梅、桃、桜、桐、椿です。皆木偏で美しい花や実を成らせます。それにあやかって6番目のクラスは、柚になりました。梅の木は、北門にあります。桃の木は、東門にあります。桜は、正門にたくさん植わっています。桐は、昔の中学校校舎の前にたくさん植わっていたそうです。椿の木は、日本記念間の生け垣になっています。柚の木は、校庭にはありませんでした。今日ここに苗木を持ってきました。今年みんなで植える予定です。
神様から出て行って、実を結ばせなさい、と言われました。あなたは、どのようにどのような実を結ぶのですか。学びとは、あなたの使命である実を結ぶためにするのです。勉強やクラブ活動、学校行事も学びです。クラスの友達と仲良く生活することも学びです。神様からの使命がわかったときに、その大切な御用をなすためには、社会で通用する力がないと悲しいですね。そのようなことがないように、しっかり学んでください。
心配はいりません。願うものは何でも神様から与えられるからです。16節後半に「また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられる」と書いてある通りです。あなた方は、一人ひとり神様から選ばれ、一人ひとりが神様の御用のために召されているのです。今日、そのことを覚えて下さい。
17節で「互いに愛し合いなさい。これが私の命令です」と締めくくられています。互いに愛し合うとは、どういうことなのでしょうか。
式次第の下に、4月の諳誦聖句が書かれています。ルカによる福音書の6章31節です。「人にしてもらいたいと思うことを、ひとにもしなさい。」とイエス様が語られた言葉です。
互いに愛し合うとは、自分がしてもらいたいと思うような行動をまず自分から進んで、他の人にすることです。
この聖書の箇所を思う時、私が中学1年生の時を思い出します。私も当時中学受験をして家から遠い中学に入学しました。4月の初めに遠足がありました。学校の近くの公園で、しばらくクラスで鬼ごっこをしました。お昼の時間が来て、それぞれ何人かづつかたまって、芝生の上で昼食をとりはじめました。入学して間もなくですから、私には一緒に昼食を食べる親しい友人が一人もいませんでした。大きな木の下で一人で座って弁当を広げました。ふたを開けると鶏肉のそぼろとピンク色をした桜田麩(でんぶ:佃煮の一種)と卵焼きを敷き詰めた三色ご飯でした。きっと母が友達と食べるとき、恥ずかしくないようにと一生懸命こしらえてくれたのだな、と思いました。一人でいることの寂しさを感じました。
その時、少し離れて車座になって座っている生徒の中から、声がしました。「加藤、ここに来て一緒に食おうぜ」。声の主はクラスでも身体が大きく、いつも何人か集まって賑(にぎ)やかに遊んでいるK君でした。彼は、手招きして私を彼の座っている左隣に座らせました。彼は、顔を私の弁当の方に近づけて「旨そうだな」と言って、また自分の弁当を食べ始めました。私も自分の弁当を食べ始めようとしました。その時、不覚にも涙が出て来ました。私はめったに泣いたことはありませんでした。でも、この時涙が自然に三色ご飯の上に落ちたのです。私は、嬉しかったのです。声を掛けてくれたことがとっても嬉しかったのです。私は自分の涙が皆に気が付かれないように、ほおばるように弁当を食べました。
今月の諳誦聖句「人にしてもらいたいと思うことを、ひとにもしなさい。」どうぞクラスで学年で、学園で、家庭で行うことができると良いですね。
このことを覚え一人ひとりが、新しい学校生活を送っていきましょう。そのとき、神様から生かされている自分が、ここにいることがはっきりわかってきます。今日は、ご入学本当におめでとうございました。