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校長ブログ

1学期終業礼拝

2014/07/22
いろとりどりのケイトウの花

いろとりどりのケイトウの花

 

讃美歌 Ⅱ190
聖書  マルコによる福音書16章1節から結び二
お話  次の世代に託すこと
祈り

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 一学期が今日で終わります。私たちは、何のために恵泉で勉強しているのでしょうか。神さまから与えられたかけがえのないいのちに感謝すること、神さまから示された自分の使命を知ること、そして少しでもそのための準備をすること、それが恵泉での学びです。今日は、その意味で一つの区切りになります。一人ひとりが一学期を振り返り、良かったところ改善の余地のあるところを確認してください。夏休みは、宿題を早めに終わらせて、たくさん本を読んでください。高校生は、もうすでにやりたいことやらなくてはいけないことはご存じでしょう。
 今日は、夏休み前に是非お伝えしなくてはならないことがあります。
 先日、中学校の礼拝で『銀河英雄伝説』という本を紹介した3年の生徒は、戦争について随分考えさせられた、と感話で話をしてくれました。この種類の本を読むことは抵抗があったのですが、第一巻を引きずられて読んでしまいました。その中で主人公の一人がこのように話をするところが印象に残りました。
 ヤン・ウエンリーという主人公の一人がこのように語ります。
「恒久平和なんて人類の歴史上にはなかった。だから私はそんなもののぞみはしない。だが何十年かの平和でゆたかな時代は存在できた。我々がつぎの世代になにか遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和がいちばんだ。そして前の世代から手わたされた平和を維持するのは、つぎの世代の責任だ。それぞれの世代が、のちの世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和がもてるだろう。忘れれば先人の遺産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。」
 作者の田中 芳樹(たなか よしき)氏は、この小説を1980年代に書かれたそうです。東南アジアでは、1960年から1975年まで、アメリカ資本主義と旧ソビエト連邦社会主義との代理戦争とされるベトナム戦争がありました。その間も日本は、戦後35年間の平和を享受(きょうじゅ)して、主人公にこう言わせしめたのだと思います。それから、今は35年たっています。終戦の年と今年2014年との丁度中間地点で、このような歴史的な考察をしています。私も少なからずその責任を負った世代になりました。
 今日22日の三日前の7月19日は、私の叔父の命日です。叔父は私の父の二つ下でした。大正9年生まれ(1920年)です。昭和20年7月18日(1945年)に、中国の湖南省零陵(れいりょう)という地で戦死しました。地図で調べると、香港の北北西500kmのあたりです。叔父は当時25歳でした。戦死というだけで詳しい状況はわかりません。わかっているのは、25歳で、しかも故郷から3000kmも離れた異国の地でこの世の一生を終えたという事実です。
 7月19日からわずか18日後、8月6日広島に原子爆弾が落とされました。これは戦争で使われた世界最初の核兵器です。このわずか一つの原子爆弾によって、9万から16万人の人々が死亡したそうです。それから三日後の8月9日は、今度は長崎に二度目の原子爆弾が投下されました。約15万人の方が亡くなりました。1945年8月15日に、第2次世界大戦、日本では太平洋戦争ともいわれていた大戦は、日本の敗戦をもって終了しました。来月69回目の終戦記念日を迎えることになります。その大戦で、日本では、戦争で亡くなった人々は310万人、そして隣国を初めアジアに及ぼした犠牲者数は1千万人はくだらないといわれています。死ななくともいい死に方を一千万人がしたのです。
人間が年の順で死んでいくのがまっとうな社会だと思います。しかし、戦争では人間が年の順には死んでいかないのです。
 憲法を支える教育基本法が2006年に改訂され、2013年の12月特定秘密保護法が成立、公布され、今月の7月1日に集団的自衛権行使容認が閣議で決定されました。
 繋がっている時間のどこまでが平和で、どこからが戦争なのでしょうか。

 メディアセンター発行の読書案内(夏号)1-3年に、私は『この子を残して』という本をご紹介しました。
 この本を書かれたのは、永井隆という放射線医学の研究者です。1945年8月9日午前11時2分、長崎市の地上500mで原子爆弾は、炸裂しました。その爆心地から700mのところにある長崎医大で永井博士は勤務をしていました。博士は右側頭動脈(みぎがわとうどうみゃく)を切る重傷を負います。後に奥さんの緑さんは、台所跡から焼けて骨片(こつへん)だけの状態となって発見されました。子どもたちだけが疎開先で無事でした。永井博士は、ご自身の研究テーマであった放射線の被曝と原子爆弾による被爆によって、余命いくばくもないときに、これを書きました。
 『この子を残して』を一部朗読します。  
 このように、戦争は終わっても戦争は続いていくのです。繋がっている時間のどこまでが平和で、どこからが戦争なのでしょうか。戦争は、作用と反作用の世界です。私たちが背負った悲しみや苦しみは、相手の国の人々にもあることを忘れてはいけません。

  今日でマルコによる福音書は、終わりです。この最後の章は、イエス・キリストの復活の様子が書かれています。十字架にかかり、その上で死なれたイエス様は、墓に埋葬されます。特徴的なことは、8節です。イエスが復活したと聞いても、「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」
 イエスさまが復活したと知っても、信じられなかったのです。これが現実なのかもしれません。
 河井道先生の自伝『わたしのランターン』は、1939年(62歳)に書かれました。1938年12月インド・マドラス世界宣教大会の記事で終わっています。
「世界の将来を開く鍵は、イエス・キリストの十字架とその復活の力にあるという結論に達した。」「世界は競争によれば破滅に陥るが、協力によれば真の生命に至るのである。真の協力は隣人の愛の上にきづかれる、そして純粋な愛の源は、わたしたちの救い主の犠牲的な愛である。」p344,345
「この世には幾日かの間、人には何事もなし遂げられないかのように見える日々があるし、わたしたちクリスチャンは十字架にかけられ、死んで葬られたと考えられがちである。しかし、もしかすると、現在のこの日々がそういう日々かもしれない。しかし、わたしたちには第三日目が当たられていると、わたしたちは信じる。この第三日が、わたしやわたしの仕事のためにさえも、とっておかれるのだと、私は信じている」  p355,356
マルコによる福音書も「わたしのランターン」も復活の記事で終わっている意味は、大変大きいと思います。
 聖書は、世の終わりにある復活の希望を語ります。しかし、河井先生は、絶え間ない時の流れの中にあるイエス・キリストの力に裏付けされた復活を語ります。厳しい現実の中にあっても、確たる希望を見つける、それが河井先生の信仰です。その信仰によって恵泉女学園は、平和をつくりだす学園として創られました。8月15日に、このことを覚えつつ、平和に思いを馳せ夏休みをお過ごしください。8月27日2学期始業の日に、大きく成長した一人ひとりにお会いできることを楽しみにしています。