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校長ブログ

1学期終業礼拝 ”PRAY WITHOUT CEASING”

2018/07/23

マリーゴールド、ヒャクニチソウ、ケイトウの花々

 

讃美歌 273A
聖書 ルカによる福音書18章1節から8節
お話 PRAY WITHOUT CEASING
祈り
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 親しくしていたアメリカ人の女性宣教師がこの6月27日、天に召されました。マデリーヌ・アン・ペトリーといい、私たちはマデリンと呼んでいました。お金や持ち物を人にすぐあげてしまうため、貧しい生活をしていました。彼女は、その貧しさを全く気にせずいつもイエス様の花嫁になりましょうと信仰の弱い私たち日本人を励まし続けました。私の家の玄関のくつ入れの上に小さな額があります。マデリンがアメリカに最終帰国するときに、記念に頂いたものです。“PRAY WITHOUT CEASING”と書かれています。第一テサロニケの5章17節「絶えず祈りなさい」の御言葉です。今暗誦している箇所ですね。

 今日の聖書の箇所で、イエス様はここでも「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ことを教えるためにと、たとえ話をしています。
 二人の人物が登場します。一人は、神を畏れず人を人とも思わない裁判官、極悪非道と言ってしまうと言い過ぎかも知れませんが、実際ローマ政府によって任命された裁判官には、コネ(関わり)と賄賂で動くこのような裁判官がいたようです。
 もう一人は、やもめです。夫をなくした女性です。聖書では、貧しい者、弱い者の象徴とされています。お金もコネもありませんから、裁判をやってもらうことは全くできないのです。しかし、彼女には一つの素晴らしい特技がありました。しつこさです。粘り強さ、我慢強さ、辛抱強さ、諦めずにがんばる気力です。
 神は、もちろんこのような不正を行う裁判官ではありません。神は、全くその裁判官とは正反対のお方です。私たちを愛してくださる神様は、私たちの必要としているものをもっともっと豊かに与えてくださるのです。今日の聖書箇所から、そのようなことを感じ取りました。

 今日は、2018年度1学期の終業礼拝の日です。4月6日の入学式から今日まで111日間ありました。登校した日は、学年によって異なりますが約70日でした。私は、この1学期どれだけ真剣に神様に祈っただろうかと問われます。この粘り強くしつこいやもめの祈りをしただろうか。
 それでも学園の主であるイエス・キリストは、ここまで学習や行事、クラブなどで大きな事故や災いから守ってくださいました。当たり前のように思われてしまいすが、本当に感謝なことです。

 今日は、1学期の通知表が渡される日です。通知表は、1学期間の記録です。結果を見て、喜ぶ人も残念がる人もいるでしょう。良い評価を頂いたのであれば、それは素晴らしい結果です。大いに喜んで下さい。また、そうでない人もいるでしょう。
 しかし、通知表の数字で一喜一憂する前に考えて貰いたいことがあります。河井先生は、このように言っておられます。
 『テストの点に80点と90点があった。70点を取る力を与えられている人が精一杯励んで80点取った。 100点の能力を与えられている人が怠けて90点を取った。人の目には、90点のほうが上だが、神様の目には80点のほうがずっと上である。』
 あなたは、一体どのくらい精一杯努力をしましたか、が問われているのです。それは、あなたの結果を見ている人がもう一人いるからです。それは、神様です。一人ひとりに賜物を与えて下さっている神様があなたの成長とその成果を見て、どのようにお感じになるでしょうか。
 当然通知表は人と比べるものではありません。自分自身が、今年4月のときに比べて成長したかどうかを示すものです。身長と同じように人生で一番成長する時期ですから、何ができるようになったか、何がわかるようになったかは、大人に比べれば著しい伸びがあります(羨ましいです)。
 次に、通知表を受け取ったらそれを自分なりに客観的に分析することが大事です。なぜなら、改善すべき課題や夏の過ごし方や、2学期の目標も見えてくるからです。とくに、高校2年生3年生にとっては、大切な時期に入ってきます。
 1学期は、うまくいかず失敗したと思っている人。失敗のない人生などありません。失敗は常につきまといます。大事なことは、この失敗に失敗しないことです。何度も同じ失敗をしないということです。自分の失敗を見て自分は駄目だとか思わないでください。自暴自棄にならないでください。それでは、失敗をこれからに活かすことのできない、失敗の失敗です。自分の失敗を人のせいにするのはやめましょう。それも、失敗の失敗です。この失敗をきちんと受け止め、これをきっかけとして努力しましょう。今日の聖書に登場するような、やもめのように諦めない粘り強さを持ちましょう。失敗の中にこそ宝が埋もれているのです。不正な裁判官の気持ちを変えるほどの熱意を持ちましょう。失敗を成功に導きましょう。
 1学期上手く行ったと思っている人。その人は、素晴らしいです。成功した人ですね。でも、成功には落とし穴があります。自分の力を過信したり、人より優れていると思ったりと高慢になってはいけません。自分の成功を神様に感謝しましょう。あなたに素晴らし賜物与え、それを発揮する環境を備えてくださった神様を褒め称えましょう。そして、この成功が次の成功につながるように、さらなる神様からの祝福を祈りましょう。

 恵泉女学園は、平和をつくりだす女性を育てたいと願っている学校です。
 夏休み中に73回目の終戦記念日を迎えます。73年前の8月15日にもう一度思いを馳せたいと思います。「恵泉女学園五十年の歩み」から、紐解いてみましょう。

1945年—昭和20年8月15日。動員と疎開で出払った学園は人気がなかった。帰校日に当たっていた普通部4年生と高等部2年生も、空襲警報が出たため、登校したのは狛江のフェルト工場動員の高2年生十人足らずと、数名の教職員だけだった。ひっそりと朝の礼拝が守られた。
 正午前、園長室の隣の会議室、といっても一隅を仕切って保健室にあてたその衝立(ついたて)寄りの廊下の窓際に、ラジオが置かれた。河井園長、末光績、高沢敏男、など学校に残っていた教師と、生徒十数名が、その前に坐った。南北の窓を開けても、晴れわたる夏の陽の下に微風も止んでいる。何か重要な事があると言われていたが、正十二時を期して、君が代が流され、続いて電波に乗った放送が、天皇陛下ご自身の御声で、しかも終戦の大詔(たいしょう:国家の重大事件について、天皇が国民に告げるお言葉)とは、誰の想像も超え、すぐに理解しかねた。一語一語、荘重にこもるように響く玉音(ぎょきくおん:天皇の肉声)に頭を垂れ耳を傾けた。終わりの君が代が流れても誰も動かなかった。暫くの黙祷ののち、河井園長は、日本は負けて、戦争は終わったと静かに生徒に告げた。平静な声に、まず生徒は落ち着いた。そして、園長のすべてを神が統べ給う(支配なさっている)という確信と神の前に悔い改めようという思いと、不変の信仰に導かれて生徒は、次の生活へと頭を切り替えるべき時なのだという心構えをそこで、最初に知った。
 翌日、内閣総辞職。十六日付の河井の書いたどの手紙にも、「ほんとうにこれから命がけでやりましょう」と平和日本のため、あらゆる苦痛と困難をのりこえて、再生しようする意気込みがうかがわれた。

 戦争という大きな過ちを繰り返さないで、これからの日本を神様に委ねて平和を築き上げようとする思いが静かに、しかし、強く伝わってきます。失敗の成功を願っている祈りを感じ取ることができます。
 自分自身のこれからの在り様と重ねて、このような歴史があったことを、来月迎える8月15日心に留めると同時に、平和のために絶えず祈りましょう。恵泉生の役目ですね。