
感話
真面目 3年 A.H.さん
真面目
3年 A.H.
皆さんは「真面目」という言葉を褒め言葉としてとらえますか。私は褒め言葉として受けることができません。
なぜなら、この言葉の裏にある意味に違和感を感じているからです。学校生活の中で友達に「真面目だね」と言われることがよくあります。「真面目だね」といわれることがよくあります。「真面目」を辞書で引くと「誠実であること」と書いてありました。しかし私はその言葉を言われるたびに、本来の意味とは違うところが協調されているように感じて、素直に喜ぶことができませんでした。例えば、私は試験期間、家にいるとどうしてもユーチューブやスマートフォンを見たくなってしまうため、勉強に集中するために図書館に行きます。私にとってテスト期間に勉強に集中することはあたり前ですが、そんな話をすると「え、真面目だね」と言われます。その度に私はどうしても居心地の悪さを感じてしまいます。相手に「あなたは私と違う」とつきはなされたような気がして、その話を避けるようになりました。「真面目」と言われるとき、私は無意識にその言葉が私を他の人と「違う」と認識させるものだと感じてしまいます。それが「あなたは他の人と違うから、もっと自由に楽しんだり、ふざけたりした方がいいよ」「もっと面白い方がいいよ」と暗に言われているように思えて、私はその場にいることが少し苦しくなることがあります。特に、周りが笑っているときに自分だけがあまりはしゃげないと、少し疎外感を感じてしまいます。みんなと同じように楽しめない自分が、どこか間違っているように思えてきて、それが「私とは違うから仲良くできない」と感じる一因になっているかもしれません。
そのように、私は、周りの人たちが楽しんでいるときに、自分だけが違う感じがすることが嫌でした。しかし、真面目でいることは、むしろ大切な場面では必要なことだと感じるようになりました。大人になって、社会で生きていく上でやらなければいけないことをきちんとやることはとても大切です、自分が真面目であることで、周りの人と違う部分があるかもしれませんが、それは決して悪いことではないと気付きました。例えば、学校生活の中で勉強をしっかりやっていると、テストや宿題の成績が良くなります。それは自分の努力の証です。また、部活動でも真面目に取り組むことは、同輩に良い影響を与えたり、自分自身の技術が上達することにも繋がります。さらに、真面目でいることで、「この人なら大丈夫」と周りの人に信頼してもらえます。だから、私は真面目でいることが決して悪いことではなく、むしろ大切なことであると感じています。確かに、時にはみんなと同じようにふざけたり、上手く肩の荷を下ろすことができない自分に寂しさやもどかしさを感じることもありますが、それが必ずしも「間違っているわけではない」と思うことができるようになりました。
今は、他の人と違っていても、真面目であることが自分らしさであると思っています。最初は嫌だった「真面目」という言葉ですが、真面目でいることは、ただルールを守ったり勉強を頑張るだけでなく、周りに対して誠実であること、責任感を持つこと、そして自分の価値を大切にすることだと今は思います。だから「真面目」と言われることは、むしろ自分がしっかりと物事に取り込み、努力している証だと、褒め言葉だと思うことができるようになりました。だから私はこれからも、自分の「真面目」なところを大切にしていきたいと思っています。