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C.A.さん(6年生)の感謝の言葉 ー第85回高等学校卒業式 ー

2013/04/12

 今日、こうして卒業式を迎えるまでの道のりは、とても短かったように感じられますが、この六年間、私たちは、多くの人やモノとの出会い・別れを通して、たくさんの経験を重ねてきました。それは、恵泉の中だけに留まらないでしょう。しかし、やはり、この六年間、私の人生の中心にあったのは、恵泉でした。
 恵泉で得たものは何かと聞かれたら、私は、友人のことを真っ先に答えます。今、私の周りにいる個性豊かな友人は、恵泉に入学していなかったら出会えなかったかもしれません。中学一年生の入学式、安積校長は、「あなたたちは、導かれてこの恵泉にやって来た」とおっしゃいました。それまで、全く異なる環境で育った小学生が、中学入試を経て、同じ学園で過ごす仲間となるというのは、とても不思議なことです。見えざる手の働きを、信じるか信じないかはその人次第ですが、私は、この恵泉、及び友人との出会いを必然の奇跡として信じたいです。最初はばらばらだった私たちが、少しずつ、友達の輪を広げ、お互いを広く、深く、知っていくようになりました。この学年は、目立たない、地道な努力を積み重ねるのが得意な人が多く、勉強面では、日頃から、先生方に誉めていただくことが、多々ありました。一方、学校行事では、最高学年になる前から、どの学年にも負けまいと奮闘し、熱く、皆で団結してきました。四年生のとき、合唱コンクールで一、二、三位を独占したこと、五年生のとき、スポーツデーの棒倒しで、六年生を破ったことは、私たちが、自ら誇りを持って、語り継いでいくことでしょう。こうしたクラスを超えた団結力は、高校生になってから出てきたと思います。中学生のときは、私にも、まだ、他人が自分の考えに当てはまらないことを、許せなかったり、受け入れられなかったりする部分がありました。しかし、学年が上がるにつれて、交流の幅が広がっていくと、自分の考えが必ずしも正しくはないこと、その考えに固執することが無意味なこともあるということを、学びました。また、この人がどういう性格なのか、どうしたいのかが、自然と分かってくるようになり、お互いに、居心地の良い関係を築くことができました。
 恵泉生を一言で表すと、愛に溢れる人だと私は思います。皆、自分のことと同じくらいか、それ以上に、人のことを大切に思っています。人のことを気に掛けることは、必ずしも自分の利益に繋がりません。それを、愚かだと考える人もいるでしょう。しかし、打算を無視して、他者と正面から向き合い、関わっていこうとする。こうした姿勢は、恵泉で培われたものであり、それには、感話が、大きな働きをしていると思います。
普段の生活の中で、友人や先生方の胸の内を知る機会はめったにありません。感話では、距離の近い人から遠い人まで、いろいろな人の心の声を聴くことができます。いつも笑顔でいる子が、深い悲しみを抱えていると知った時、私は胸にずっしりとくる衝撃と、拠り所のない罪悪感を持たずにはいられませんでした。光があれば必ず影が生まれるように、明るいところばかりの人間なんていないのに。誰でも、体の中の、深い深い闇の奥に、人が触れられないものを抱えているかもしれないのに。目の前で笑っていたり、ふざけたりしているのを見ていると、その人のことを勝手に大丈夫だと思ってしまいがちです。多感な中高時代に、感話を通して、同じ年代、同じ今を生きる人間の、普段見られない一面に触れることができたのは、貴重な経験であったと思います。また、これから、この経験は、私が他者と関わる上で、大切な土台となっていくでしょう。
 修養会のクラス礼拝では、私は、感話を読む側の立場になりました。修養会委員だったこともあり、感話の内容に、とても迷いました。良い修養会にしましょうという内容は、どこか味気ないと思ったからです。クラスの仲間とは、一年半を共に過ごし、楽しい思い出をたくさん共有してきました。その中で、彼らへの信頼も深まっていきました。しかし、お互いに、真剣に、自分の内面を語り、それについて、意見を出し合ったことは、ほとんどありませんでした。私は、修養会で、単なる仲の良い関係から、もう一歩踏み込んで、皆と話をしたいと思いました。今それをしなければ、一生、彼らとは、表面的な友人に留まるだろうと思いました。そこで、皆にも自分の内面を語ってもらうために、私から、心を開くことが必要だと感じました。隠していたわけではないけれど、進んで人に話したい内容ではありませんでした。それ故、その感話を読むことには抵抗がありました。クラスの皆に、自分の奥深くにあるものを知られることが、怖かったのです。しかし、感話を読み終わった後、いつも一緒にふざけたり、騒いだりしている友人が、まっすぐに私の思いを受け止め、共に涙を流してくれたことが、とても嬉しかったです。その夜は、皆で今まで言えなかったようなことを語り合いました。そのとき、普段は知りえない、友人の深い痛みや悲しみに触れました。このように、感話は、友人の思いを知り、私が自分の思いを語るきっかけとなりました。
 私が、クラスの皆の前で、自分の内面を語ることができるようになる前には、一人の友人に救われた経験があります。高校一年生のときでした。友人の家で、二人で枕を並べているとき、私は、彼女の前で、そのときまでずっと自分の中に抱え込んでいた家族への思いをすべて吐き出しました。母と姉の力になりたいのに、自分は何もできないこと。祖父母には、残りの人生を伸び伸びと楽しんでほしいのに、心配や負担をかけてしまっていること。それは、相談したというより、ただ自分の言いたいことを言って、勝手に私の気持ちを楽にしただけにすぎませんでした。しかし、彼女が、ただ黙って私の話を聞き、私のすべてをまるごと受け止めてくれたことで、私はとても救われました。この日がなかったら、私は前に進めなかったし、今の私はなかっただろうと思います。
 私たちは、恵泉で、愛されることを、身を持って知り、人を愛することができる存在になりました。愛は、人が生きる原動力となります。聖書には、愛についてこう語られています。
「愛は、忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」
学園の創立者である河井道先生は、生涯にわたり、聖書で語られる愛を大切にされていました。自らの利益を考えず、いつも、目の前にいる人と、共に生きておられました。現在も、恵泉には、脈々と河井先生の愛が受け継がれています。河井先生が、人を愛し、人に愛される存在であったように、恵泉はたくさんの人に愛されて続いています。
 この学園は、私たちにとって、居心地の良い、故郷のような、大切な場所となりました。しかし、いつまでもここに留まっていることはできません。私たちは、これから、恵泉を巣立ち、それぞれの道を歩んでいきます。私は、大学に進学し、勉強を続けます。私は、中学・高校の学びを通して、政治学に興味を持つようになりましたが、自分の国の政治は、いつも前に進んでいないような歯がゆさを感じていました。その背景には、現代の社会で、大人が大きな理想を語ろうとしないことにあると思います。経済的不況が続く中で、夢を追いかけるよりも、現実を見て、無難に生きることが、良しとされる風潮があります。しかし、このような時代だからこそ、私たち自身が、積極的に理想を持つことに意義があると、私は考えます。東日本大震災では、科学技術が発達しても、変わることのない人間の命のはかなさを実感し、同時に、この世界の不条理を思い知らされました。国内では、現在も復興の途上にあり、自分の家で暮らせない人、仕事を失った人、大学に通う夢をあきらめた人がいます。国外に目を向ければ、難民として自分の国に帰ることができない人々、毎日いつ命を失うか分からない状況の中で、安心して生きられない人々がいます。国際平和を謳いながら、核兵器の開発を続ける国々があります。このように、現実に数えきれないほどの問題がある中で、私たちは、一人でも多くの人間が生きる喜びを感じ、希望を持てる世界を実現していく理想を、持ち続ける必要があると、私は考えます。平和を実現する人となりなさい、という河井先生の教えを受け継いで、私たち恵泉生は、これから出ていく社会の中で、それぞれが、与えられた場で、ささやかではあっても、世の光となるよう、歩んでいきましょう。
 最後になりましたが、勉強だけでなく私たちの成長をいつも見守ってくださった、先生方。恵泉生の生活と学びを支えて下さっている、事務の方々・用務の方々。卒業後も恵泉を愛し、私たち後輩の力となってくださっている、恵泉会の先輩方。信和会やクラブ活動で、共に頑張った後輩の皆さん。そして、何よりも、六年間、私たちを家庭で支えてくれた、家族。すべての方に、感謝の言葉を述べさせていただきます。今まで、私たちの恵泉生活を支え、見守って下さり、ありがとうございました。
 そして、六年生へ。楽しい思い出をありがとう。これからも、共に歩んでいきましょう。