
感話
M.N.さん(5年生)の感話 ー知ることと伝えることー
私は今まで、原爆を落とされた日本は、被害者の側であると思っていました。しかし、今回ヒロシマ平和の旅に参加して、その考えががらりと変わったと思います。昨年私は1年間アメリカへ留学しました。ホストスクールでアメリカ史の授業を受けていたとき、先生が生徒に「アメリカは日本に原爆を落として良かったと思いますか。」と質問したところ、教室内の全員が声を合わせて「良かった。」と言いました。私は「良くなかった。」と言おうとしましたが、皆から予想外の答えを聞いて戸惑いを隠せず、自分の意見を言うことができませんでした。今までずっと日本で教育を受けてきたためか、自然と私は原爆投下が悪いことであると思い込んでいました。しかし、アメリカに留学してから、自分が原爆に対して自信を持って主張できる意見を持っていないことに気が付きました。原爆投下は良い決断だったのか、悪い決断だったのか、また原爆投下は投下したアメリカが悪いのか、それとも投下される状況にしてしまった日本が悪いのか、私は1人の日本人として知るべきだと思いました。そこで、自分自身の原爆に対する考えをきちんと出したいと思い、私はヒロシマ平和の旅に参加することを決めました。
実際に広島へ行ってみると、町並みがきれいでとてもびっくりしました。広島駅の周りは交通量が多く、道路がきれいに舗装され、高層ビルが立ち並びます。広島の被爆後の町並みの写真を何度か教科書で見たことがありますが、私の目の前に広がる広島はそれらの写真とはかけ離れていました。道路のあちらこちらに慰霊碑があり、原爆で亡くなった方々を強く惜しむ人々の気持ちがそこから伝ってきますが、広島の全体の様子は数十年前にここで戦争があったということをかけらも感じさせないくらいきれいでした。そんな私の現在の広島に対する印象を一変させたのが、原爆ドームです。原爆ドームも、教科書などで何度も写真を見たことがありましたが、生で見ると思ったより小さい印象を受けました。また、一瞬にして立派な建物を破壊し、建物内部の家具類などをことごとく吹き飛ばしてしまう原爆の威力の恐ろしさに大きな衝撃を受け、やはり戦争はここで起きていたのだとわかりました。
1日目の夕方、宗藤尚三先生をお迎えして被爆体験を伺いました。宗藤先生は、その日のことを思い出しながら、わかりやすくゆっくりとお話してくださいました。学校の授業で戦争について学ぶと、私はどうしても遠い過去に起きた物語のようにして聞いてしまい、なんとなく理解して終わっていたように思います。しかし宗藤先生は、まるで原爆が落ちる瞬間が目に浮かぶように原爆投下の様子をことこまやかに説明してくださいました。それを聞いて私は、原爆投下は遠い過去の物語ではなく、実際におきた事実であるということを改めて実感しました。原爆は過去に起こったことではありますが、終わったことではありません。現代に生きる私達はこれを終わったことにせず、後世に述べ伝えていく義務があるのだと思います。宗藤先生が強くおっしゃったのは、原爆は落としたアメリカも悪いが、さんざんアジア人を苦しめ続け、原爆を落とされる状況にしてしまった日本にも責任があったということです。日本は自分たちのおかした罪を理解し、2度とそれを繰り返さないことを大事にする必要があるのだと感じました。
2日目には、似島に江種祐司先生と向かいました。似島は、広島湾内にあるとても小さな島です。一見普通の小さな島ですが、江種先生の話を通して、戦前から戦後にかけて様々な人が苦しくつらい経験をしたところだとわかりました。原爆投下の直後には、原爆で重傷を負った方々が大勢似島へ運ばれ、江種先生もその1人でした。次々と亡くなる人の遺体は原爆直後に起きた台風で海に流されました。今でも掘り出されていない骨が島の海の底にたくさんあると聞き、自分はその上に立っているのだと思うと、私は身震いがし、強い恐怖をおぼえました。それと同時に、私はこの機会にここに来られて良かったと思いました。なぜなら、被爆体験のある方とともにここを訪れていなかったら、私は似島について無知であり、ただの小さな島の1つとしてしか似島を見られなかったと思うからです。80代半ばの江種先生は今年体調があまり優れないということで、娘さんをお連れしていました。これは今年が初めてのことだそうです。被爆者の方々が年々減り、貴重な話を聞く機会が少なくなっていることを実感しました。今回広島に来て被爆体験談を生で聞くことができて、本当に良かったです。
ヒロシマ平和の旅に参加して一番心に残り印象的だったのが、2日目の夕方に伺った下原隆資先生のお話です。下原先生は原爆によって口に重傷を負い、今でも傷が残っています。最初はずっとマスクをしていたそうですが、多くの人に励まされ、傷を見せて堂々と生きようと決心しました。私はその先生の堂々とした姿にとても感動しました。私がもし先生のような立場だったら、到底そのような自信はなかったと思います。また、下原先生はアメリカへ何度も渡り被爆体験を語り続けています。原爆投下は正しかったと主張するアメリカ人ですが、被爆体験談を話せば理解してくれるそうです。アメリカで自分の意見をはっきり言えなかった私にとって、アメリカ人も話せば理解してくれるということに驚きました。留学中の私には、原爆について話せる知識や語学力がなく、また話す前からどうせ話しても理解してくれないとあきらめていたのだと思います。先生の話を聞いていて当時の自分がとても情けなくなりました。直接被爆者の話を聞き原爆について知識を増やした今、自分自身の意見をしっかり持った上で私も周りの人々に今回の体験を伝えなくてはいけないと思いました。
原爆ドームは年々小さくなっているように見えると聞きます。これは、原爆が人々の意識から段々薄れてきているという意味です。これは本当に悲しいことだと思います。現在、被爆者の方々が体験談を話したり、原爆のことが絵本になったり歌になったり、みんなに原爆のことを伝えようという動きはたくさんあるにも関わらず、私達はそれを知ろうという意識がありません。私はこの旅を通して、原爆はアメリカの責任でもあり、日本の責任でもあるということを知りました。戦争中たくさんのアジア人を虐殺し加害者の立場でもあった日本人は、その罪を意識し反省の上に立って、2度と戦争を繰り返すべきではないということがわかりました。これらを意識するかしないか、実行するかしないかは、私達若い世代にかかっていると思います。被爆者の方々が年々減ってきている現代、もっとたくさんの人に広島を訪れ、生で被爆者の方々の話を聞き、自分の目で広島を見てほしいです。そして、私もこれからは自分から原爆について自分の意見を発信し、周りに伝えていけるようになりたいです。