当然に多様性が認められる社会にしたい
安倍政権の「女性活躍推進」を取材して、あるコラムを書きました。女性に限らず、障がい者や外国人など多様な人材がワークコースに入ることは商品開発などでの視野を広げ、企業側のメリットにもなる。だから「女性」は1つの切り口だと捉え、最終的には長時間労働が前提の日本の「働き方」を根本から変えていこう、という内容です。
全員が残業して当然という職場には、介護や育児で定時に帰宅することすら言い出しづらい雰囲気があります。コラムで「企業のメリット」に触れたのは、経済的な動機付けがなければ、日本企業は「多様性」を認める方向には動かないと考えたからです。
ところがその頃、音楽療法士をしている恵泉同級生に再会して、私は一番大事なことを思い出しました。「企業が無駄な残業をなくして全員早く帰れる雰囲気を作るのも大事だけど、皆が残業しても『私は帰る』。皆が帰っても『私は残る』と言える人を育てるのが一番じゃない?」
その通りです。多様性をもたらす第一歩は「みんなと一緒」ではなく、一人一人が「私はこうしたい」と自分で決めて行動すること。話は自然と中高時代に及び、相当に個性的だった友人たちや先生方を懐かしみました。
恵泉には、人と違うことをまず自分が、そして周囲が認める風土があります。「当然に多様性が認められる社会にしたい」。そんな今の私の原点かもしれません。