「あたりまえ」のなかに
舞台俳優という仕事を選んで、10年以上がたちました。
特定の劇団に所属せず、さまざまな演劇現場で作品づくりに参加することがかなっているのは、人との出会い、つながりのおかげだと思っています。「出会い」この言葉は恵泉での6年間の生活で最も耳に残った言葉です。
演劇の現場で、国内外の演出家が決まっていう言葉があります。
「まず、相手のセリフを聞きましょう」。あたりまえのことです。けれどどんなに熟練の俳優でも、ときとして見失うことがあります。台詞は決まっているのですから。しかし、相手があって初めて、自分がいる。相手の言葉があって、初めて自分の言葉がある。それが対話であり、なにかが生まれる瞬間でもある。日常私たちは何気なくやっているようで、じつはとても難しいことです。
恵泉での礼拝、そして感話の時間、私たちは友人の声とその心に耳をかたむけ、自分の感じたことを話してきました。制服がないということに代表される自由な校風の中で、言葉以外のものから、その人の発するものを聞くということも学びました。聞いて初めて何かを感じ、考え意見をもつというあたりまえのことを、6年間くりかえしてきたのです。
演劇という言葉からみなさんは何を想像するでしょうか。
人が集まり、芝居を観る。その芝居は古典から現代劇さまざまです。どの時代の、どんな芝居にせよ、そこには人と人との出会い、そして生の対話があります。人の声を聞き、声と声のあいだにある静寂を聞き、観客は今現在の自分を問い、自分のなかにある声を聞く。
出会いとは、耳をかたむけること。
恵泉での学びの延長線上に、いまの私はあります。