HOME > 教育理念:校名の由来/校章/校旗

校名の由来

『わたしのランターン』(河井道著1968年)より

わたしはある漢学者と相談して、学校を恵泉女学園と名づけた。「恵みの泉である女子の学びの園」である。誰も泉を作ることはできない、それは創造主からの賜物である。わたしの学校もその通りである。生命の源から湧きあがる恵みの賜物であらせたい。

「史料室だより」第5号(1999年)より

学園名決定について河井先生は『けいせんぶんげい』第一号に“「恵泉」の謂れ”という一文を寄せた。この冒頭部分を要約すると、“河井先生は学園の名称を「光、生命、泉」の中より得たいと思い、これらを含むいろいろな熟字を考え、辻村靖子先生の意見を求めた。この先生は女子英学塾で和漢の学を教え、また現在某宮家に進講している学者である。この先生が「恵泉は語呂も意味もよい」として選んだので、これを学園名とした”となる。(略)
辻村先生は名称選考には漢詩と同様に平仄(ひょうそく)への配慮が必要だと言う。平とは中国の発音法の一つで発音の高さが前後ほぼ等しいもの、仄とはそれ以外の発音法である。「特許局」のような仄の繰り返しは耳に快く響かないので避けるべきだ。この原則に従って辻村先生は仄の「学園」の前に掲げる名称として、平の「恵泉」と「榮泉」を選んだ。(略)最終的に「恵泉」に決定したのは河井先生ではないだろうか。河井先生は上記の文で「恵」とは「代価を払はずにただで頂戴いたす有難い御恩寵のこと」と説明している。この「恵」に河井先生の特別の思いが込められたのだろう。

校章

校章イラスト

「史料室だより」第1号(1995年)より

校章のデザインは、乙女がひざまずき、地から湧き出てくる泉の水を汲んでいる情景を描いたもの。1934年からブローチとペンダントとして使われるようになった。製作者は美術科を担当していた、当時23歳でまだ無名だった本郷新先生(1905〜1980)。先生の母上と河井道子先生とは、スミス女学校で一緒に学んだ関係から、恵泉女学園を創立した時に来ていただいたという。本郷先生は、高村光太郎に師事し彫刻家として活躍された。

校旗

校旗写真

校旗のデザインは、校章と同様に本郷新先生による。泉と若木による「恵泉」の象徴。地色は緑、模様は白、モールは金。