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校長ブログ

中学校礼拝 「種が育つ良い地とは?」

2017/05/10

知らぬまに咲いていたキンギョソウ

種から育てているスズメウリ

中学校礼拝 2017/05/10(水)

讃美歌 234A
暗唱聖句 交読文25 詩103篇
     わが魂よ、主をほめまつれ、
     わがうちなるすべてのものよ、
     そのきよき御名をほめまつれ
聖書 マルコによる福音書4:13−20
お話 「種が育つ良い地とは?」
讃美歌 546
祈り
黙祷

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 今日の聖書箇所の少し前に戻ってみましょう。1節からです。イエス様のお話を聞きに多くの人々が集まってきました。イエス様は、舟に乗って腰を下ろし、湖の上から、湖畔の人々に語られました。
 おそらくいい天気で、太陽が照り、そよ風が心地よく吹いていたのではないかと想像されます。天気が良いと、湖の水よりも湖畔の地上の方が早く温められます。そのため、地上では暖かい空気が軽くなって、上昇気流を作ります。それを埋めるように湖からは、冷たい風が湖畔に向かって吹いてきます。イエス様の声は、マイクを使わずとも(もちろんこの時代にはマイクはありませんが)風に乗って多くの群衆に届いたことと思います。聖書のちょっとした記述の中に、イエス様の御言葉を語る用意周到な状況設定を伺い知ることができます。

 イエス様は、まず始めに「よく聞きなさい」と注意を促して、人々には、難しい内容を「たとえ」でお話になりました。「たとえ」は単純で分かりやすいです。そして、状況を想像しやすいので、絵になりやすいのも長所でしょう。しかしその反面、簡単さゆえに何がどのようなことを言っているのか、理解することが難しいときがあります。
 イエス様が「たとえ」でお話しになる理由は、聞く人たちに質問をさせることにあるのではないか、と思いました。わかりやすい「たとえ」は、自分に引き寄せて考えることができます。そして、考えることによって疑問が生まれます。その疑問は、質問に変わります。質問に対する答えは、更にそのものごとの本質に迫ります。
「たとえ」は、真理を探究する動機付けになっています。一方で、イエス様の「たとえ」に興味を示さない人々は、救いのメッセージに関心がないのです。12節「彼らが見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず」、それ故に「立ち帰って赦されることがない」のです。これは、イエス様が引用したイザヤ書6:9、10に預言として書かれていることばです。
 今日の箇所は、昨日教室で読まれた「種まき」についてのイエス様による解き明かしです。種とは、神様の言葉です。神様の言葉を聞いた4種類の人々対応について語っています。
 4月初めはいつも「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という御言葉を暗唱します。
第一のグループ。
「蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。」(4:4)
蒔かれた種は、目ざとい鳥に見つかり、食べられてしまいました。心に蒔かれた御言葉がすぐにサタンに、奪われてしまった人々です。鳥はかわいいですが、サタンのたとえです。気を許してはいけません。
第二のグループ。
「石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。」( 4:5.6)
御言葉を聞くとすぐに喜んで、受け入れるけれども、御言葉のために、不利益を被ると、根が生えていないために、御言葉を遠ざけてしまう人々です。
第三のグループ。
「種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。」(4:7)
世の中のことをいろいろ思い悩み、お金や名誉に心を奪われてしまって、御言葉を封印してしまった人々です。残念なことに、御言葉の祝福された実を結ぶことはできませんでした。
そして、第四グループ。これはあなた方です。
「種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」(4:8) 
御言葉を受け入れて、多くの実を結んだ人々です。
みなさんは、「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という御言葉を覚え実行しています。
第一のグループの種は、芽を出すことさえ出来ませんでした。
第二のグループの種は、芽を出すことは出来ましたがすぐに枯れてしまいました。
第三のグループの種は、芽を出し成長はしましたが花を咲かせ、実をならせることが出来ませんでした。種を蒔く人の労苦は、無になったのでしょうか。決してそのようなことはありません。
第四のグループは、大きな収穫をもたらしました。30倍、60倍、100倍というのは、無駄になった3つのグループを打ち消してなお余りのある祝福の三段階です。
 聖書には、三十倍、六十倍、百倍の実をつけた種は、「良い地に落ち」とあります。
私たちの想像では、「良い地」とは、栄養分が豊かな黒土で、よく耕されていて、日が当たり、十分に水分が与えられる土地です。
 しかし、「良い地」とは、私たちの考える「良い地」ではなく、とんでもない環境が良い地となりうるのです。
 私たちの心が、苦しさや悲しさのあまり希望を失っていても、自分の惨めさに押し潰されそうになっていても、あるいは、この世の価値観に心が覆われていても、神様の御言葉に触れていれば、「良い地」になります。そこでは、力ある御言葉が発芽し、ぐんぐんと伸びて神様に喜ばれる実をならせることが必ず出来るのです。
 恵泉では、毎日の礼拝では、聖書が読まれています。1年間で約200回。6年間で1200回です。神様から無限の御言葉を撒かれています。讃美歌は、その倍を歌っています。日々の恵みに感謝しつつ、神様の約束を信じ、今日も御言葉を心に刻み、いつものように歩んでいきましょう。