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校長ブログ

一日修養会 閉会礼拝

2017/02/15

ラニーさんとともに歌う

2017年2月14日(火) 一日修養会 

讃美歌 94
聖書 詩編149編
:1 ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。
:2 イスラエルはその造り主によって喜び祝い/シオンの子らはその王によって喜び躍れ。
:3 踊りをささげて御名を賛美し/太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。
:4 主は御自分の民を喜び/貧しい人を救いの輝きで装われる。    
:5 主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み/伏していても喜びの声をあげる。
:6 口には神をあがめる歌があり/手には両刃の剣を持つ。
:7 国々に報復し/諸国の民を懲らしめ
:8 王たちを鎖につなぎ/君侯に鉄の枷をはめ
:9 定められた裁きをする。これは、主の慈しみに生きる人の光栄。ハレルヤ。
お話 
祈り
黙祷

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 一日修養会のテーマは「共に生きる〜賛美の喜び〜」でした。講師のラニー・ラッカー先生の賛美と証を聴き、ラニー先生の指導で、賛美することの楽しさを味わいました。また、午後はクラスで各学年のテーマに沿ってディスカッションがなされました。
 私が一日修養会の閉会礼拝で選んだ聖書箇所は、詩編149編でした。今朝ラッカー先生の名刺を頂いたとき、名刺の一番上に“Sing unto the Lord a new song!”と書かれていました。詩編149編1節は、“Praise ye the Lord.”の次に“Sing unto the Lord a new song!”とあります。嬉しい一致です。

  聖書が記述する賛美のはじめは、出エジプト記にあります。出エジプト記15章20、21節には、モーセの姉ミリアムがエジプトを脱出できたイスラエルの民に対する神様の御業をほめたたえています。 
:20 アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。
:21 ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。
ミリアムや他の女達も歌って踊っています。歌と踊りは区別がないようです。これが聖書の中にある神様を賛美する原型です。そして、今日の詩編をも含めて詩編は、すべて神を賛美する歌と言っていいでしょう。なんと膨大な量なのでしょうか。

  私は小学校、中学校と、音楽は好きではありませんでした。しかし、イエス様を自分の救い主であると、決めてからいろいろと自分の中に変化がありました。この音楽嫌いだった自分に音楽が戻って来たことも奇跡的な出来事です。まさに、新しい歌との出会いが始まりました。教会での賛美が、楽しいものに感じられるようになってきました。神様の働きを感じれば感じるほど、神様を賛美せざるを得ないことに気づきます。

 最近このようなことがありました。入学試験3日目2月4日の朝でした。礼拝を行う前の自分の気持ちが集中できず、心に波風が立っていることを感じました。入試が始まって既に4日目に、何を語っていいのか。御言葉は、決まっていましたが、これからきちんと礼拝ができるのだろうか。不安になりました。試験会場にいる受験生やフェロシップホールにおられる受験生の保護者の方を前にして、心が乱れている自分を発見しました。
 礼拝2分前に、パイプオルガンによる前奏が始まりました。壇の上で、目を閉じて前奏の音楽に身を委ねていると、心が静かになっていくのを感じました。ざわめいたこころが風の全くない凪のようになりました。賛美の奏楽を神様が受け取ってくださり、神様にある平安を私に戻して下さったのです。神様の慈しみを示してくださったと感じました。奏楽の曲は、バッハの「われら悩みの極みにあるときに」でした。奏楽者がいろいろ悩みながら選んだ曲であることを後に知りました。
 また、自分の思うように事がいかないことがあった時に、讃美歌93番を賛美していました。その2節の歌詞は、「まよえるときには みちをしめし おごれるときには むちをたもう」でした。自分は、何かできると思っていましたが、実は自分は何もできず、何者でもないことに失敗を通して神様が気付かせて下さったのです。改めて自分は、神様に愛されている、と感じた瞬間でした。149編の4、5節は、このことを言っているのではないでしょうか。そして、注目したいのは後半の6節から最後です。賛美は、戦いのための歌でもあるのです。

 旧約時代の敵は、自分たちの繁栄を妨げる国であり、部族でした。しかし、イエス・キリストがこの世に来られ十字架で死なれ、復活なさった新約時代の敵は何でしょうか。イエス・キリストがお示しになる私たちの戦う相手は、私たちの心の中で陣取っている神様に相応しくない思いや考えです。私たちの敵は、今日のテーマに結びつければ「隣人と共に生きよう」とすることを拒絶する自分自身の心です。人を恐れること。人を疑うこと。人を怒ること。自分に対する自信のなさ。劣等感。あるいは反対に人を見下げること。自分中心なおごり。たかぶり。うぬぼれ。これらは、私たちが隣人と共に生きることを妨げます。
 ラッカー先生に、今日教えていただいた神様を讃える賛美を通して、これらの敵を打ち砕きたいものです。祈ります。