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恵泉ダイアリー

ユリーカ来日

2014/07/09
15年前ユリーかで「ラフティング」

15年前ユリーカで「ラフティング」

 7月6日、ユリーカから10名のアメリカの若者が恵泉の国際交流プログラムで来日しました。1990年から続いている国際交流プログラムです。
 私も1999年に生徒20名を引率して行きました。彼らが来日するたびに、あの時の楽しい思い出がよみがえってきます。
 ユリーカは、アメリカの北カリフォルニア州にあります。サンフランシスコから、国内線のプロペラ機で一時間半ほど北に飛びます。このホームステイプログラムは、第一長老教会のコミュニティが中心となって進められます。教会員のお宅でのステイでは、いろいろと新しい発見がありました。言葉が多少通じなくとも心が通う瞬間があります。
 私の場合は、前半は、若いカップル(PaulとNaomi)の家でお世話になりました。Paulは、近くの製材工場(巨木のレッドウッドが名産)に、Naomiは市の保健所に勤めていました。Paulは、食事の残り物がどんなに僅かでも大切にラップにくるみ冷蔵庫にしまっていました。とても質素な生活をしていましたが、たまたま私の誕生日があり、Naomiが特大のバースデーケーキを用意してくれたのは、とっても驚きでもあり嬉しかったことを思い出します。二人とも仕事と教会の活動を熱心に行っていました。Paulのオリジナルのハンバーガーはおいしく、私はPaul’s  burgerと名付けていました。別れの時Paulから レシピをもらいました。後半は、企業をリタイヤした年配のご夫婦(WoodyとClaire)にお世話になりました。Claireは、息子と私が同じくらいの年だそうで、私の帰りが少しでも遅くなると、玄関の扉前で心配そうにいつも待ってくれていました。Woodyは、釣り船を持ち、仲間で行った釣りの様子を赤ら顔で楽しそうに話してくれました。今度はもっと大きいのを釣る、と言うのが口癖でした。数年後息子さんの住んでいる他の州に引っ越しをなさったそうで、さみしい気がしました。
 今年来日した彼らは、今日(7月8日)午前中は剣道の体験、午後は草木染をしました。一行は、恵泉生の家庭に滞在し、7月22日に離日します。生徒との交わりを通して豊かな交流プログラムになることでしょう。そして、何年もたった頃に日本での懐かしい思い出が、私と同じように、彼らの心に蘇るでしょう。
 このようなことからも、河井道先生が国際友好は、「若いうちから」と御著書に書かれている意味がとても良く理解できます。