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校長ブログ

中学校礼拝「わたしは道であり、真理であり、命である」

2017/10/02

校庭に咲くマリーゴールド

校庭に咲くイヌサフラン

2017年10月2日(月)中学校礼拝

 賛美歌   312  
暗誦聖句  交読文24 詩100篇
聖書    ヨハネによる福音書14章1節〜14節
お話    「わたしは道であり、真理であり、命である」
祈り
黙祷

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 イエス様が十字架につけられる前日、最後の晩餐でイエス様を裏切るユダが出て行くと、イエス様は、「子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。(ヨハネ13:33)」と言われました。弟子たちは、イエス様の言われた「わたしが行く所」が大変気になりました。小さい子供が、お母さんの行く場所を気にかけるように思えてしまいます。
 これに対して、ペトロ、トマス、フィリポがイエス様に質問をします。ペテロは「主よ、どこに行かれるのですか。(ヨハネ13:36)」と問います。
 その後の話が今日の聖書箇所です。
 イエス様は、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしは、あなたがたのために住む場所を用意しに、わたしの父の家に行く。」と話されます。イエス様は、父の家、すなわち天の御国に行って、信じる者の住まいを用意したらまた戻って来ると言います。
 次にトマスが質問します。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。(ヨハネ14:5)」
 トマスは、慎重で、知性によって物事を捉えていくタイプです。トマスには、天国にはどのように行くかが気になりました。はっきりした、具体的方法が必要だったのです。
 イエス様は、答えます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
 次はフィリポです。イエス様が「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」と言われたのを聞いて、フィリポは、「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と質問します。よく聞かれる言葉です。しかし、真面目なフィリポは、真剣に自分の信仰の拠り所を求めていたのです。
 イエス様は、「わたしと父とは、一つであってそれを信じなさい。信じられなければ、今までわたしが行ってきた様々な行いによって、信じなさい」と言われました。例えば、ヨハネ3章16節は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と、慮(おもんばか)りの父の神の愛が表されています。
 ヨハネ13章34節には、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」とイエス様の言われた言葉が書かれています。父なる神とイエス様は、本質的に人への愛で貫かれています。愛を中心として一体なのです。
 イエス様は、感情的で熱血漢のペトロには、心を騒がせないで自分を信じなさい、と言葉をかけ、知性派のトマスには、自分が道であることを丁寧に示され、現実主義者のフィリポにはご自身の行いによって、父と御自分が一つであることを説明されました。
 ヨハネによる福音書に、ペトロの名は29回、フィリポは11回、トマスは8回と他の福音書に比べると圧倒的に多く出てきます。
 ペトロ、トマス、フィリポを多用したヨハネによる福音書の書かれた目的がわかるような気がします。
 今日の聖書箇所では、いくつもの素晴らしい御言葉があります。14章6節の「わたしは道であり、真理であり、命である」も、その中で輝いている御言葉です。
 「道 ”the way”」は、道路ではありません。天の父なる神様のところへ行く方法です。イエス様は天国への道標(みちしるべ)です。新しい目的地に遠足に行く時、私たち教員は必ず下調べに行きます。どの場所で全員を集めて点呼を取るか、昼食はどこでとったらいいか、雨の時はどうするのか。山登りの時は、道に熟知したものが先頭になり、迷いそうなところは先生を配置するなどします。イエス様ご自身が天国に、私たちを導く道なのです。
 「真理 ”the truth”」は、いつどんなときにも変わることのないことがらです。学校では、真理を教えます。しかし、残念ながら教師自身が真理となることはありません。イエス様は、ご自身が人が生きるための心の真理を実現されました。病気の人を癒し、歩けない人を歩かせ、悪霊につかれている人から悪霊を追い出し、悲しむ人と共に泣かれました。イエス様は、真理が実現されています。
 「命 “the life”」によって私たちは生かされています。命は、私たちは持っていますが、与えられたもので、私たちの所有物ではありません。命は、神様のものです。イエス様はこれらのことを語られた翌日、朝ゴルゴダへの道を歩かれ、9時に十字架につけられました。そして、午後3時に息を引き取られました。イエス様は、ご自身の命と引き換えに私たちに新しい命を与えてくださったのです。イエス様は命です。
 14章6節をお読みして、礼拝を終えましょう。
 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」