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校長ブログ

合唱コンクール 開会礼拝

2017/09/23

府中の森芸術劇場前に咲くコスモス

1年生の学年合唱

2017年度 合唱コンクール 開会礼拝      

 讃美歌 Ⅱ161 1、3、5節
暗唱聖句 交読文24 詩編100編
 全地よ主にむかいて喜ばし声をあげよ、喜びをいだきて主につかえ、
 うたいつつそのみまえにきたれ。知れ、主こそ神にますなれ、
 我らを造れる者は主にましませば、
聖書 詩編103:1-5
 :1 わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。
 :2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
 :3 主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し
 :4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
 :5 長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。
祈り
お話し 「主の取り扱いを何一つ忘れるな」

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 “Bless the LORD, O my soul”が、1節の英語訳です。“bless” は、祝福する、という意味があります。
 この詩編を作った詩人が感謝している事柄は、罪からの赦しであり、病からの癒しであり、死からの救いです。極めて個人的な神への感謝が、6節以降、深さを増してイスラエルの民全体の神への感謝にと高められていきます。
 個人的に思われていた「罪からの赦し、病からの癒し、死からの救い」は、イスラエルの民全体にも当てはまる神様からの一方的な慈しみと哀れみだとわかったからです。だからこそ、詩人は、自分の内にあるもの全てで、主をたたえ、主がなして下さった事を何一つ忘れるなと、歌い続けます。

  今日は、合唱コンクールの日です。
 かつて、私は男女共学のキリスト教学校で、中学校2年の担任でした。クラスにN君という男子生徒がいました。運動神経は抜群で、サッカー部では中心的な働きをしていました。柔道の受け身がきれいで、柔道の先生が唸ったほどです。しかし、彼は生まれつき耳が聞こえにくく、いつも補聴器を付けていました。聴覚に障害を持っていたのです。話し言葉もきれいな言葉にはなりません。まして、歌を歌うときは聴いていてかわいそうになるぐらい音程がずれていました。恒例の合唱コンクールの時期がやってきました。
 合唱コンクールで、優勝を狙いたいクラスの生徒たちは、N君に困りました。当日は、休んでもらおうと言う酷(ひど)い意見まで言う女子生徒がいました。そのとき、指揮をしていた女子生徒が発言しました。「N君は、指揮をやったらどうでしょうか。私がピアノから見える位置に立って、私がN君に指示を出すようにします」と。
 正式な指揮者が降りて、代わりにN君が指揮者になりました。彼が指揮者になると、合唱の練習をさぼりたがる男子生徒たちは、Nががんばっているからしょうがない、俺たちも練習に出るか、という事になりました。クラスが以前よりしっかりとまとまりました。
 合唱コンクールの当日、舞台に立ったN君は、会場に向かって恥ずかしそうにぺコンとお辞儀をし、クラスの皆の方に振り返って、ピアノの脇一番左に立っていた影の指揮者からサインを受け、指揮を始めました。合唱終了後、N君とN君を支えたクラス全員に会場から惜しみない拍手が起こりました。優勝こそ出来ませんでしたが、今でも鮮やかに思い浮かびます。30年も前の出来事です。
 今日の合唱コンクールに至るまで、クラスでは、自由曲選びの混乱、ぶつかり合い、練習に対する不平や不満等いろいろな事が起きたことと思います。それらを乗り越えて今日がやってきました。
 詩人が歌うように、主の計らいを何一つ忘れることなく、神様への賛美の歌声を、このホールの高い天井を突き抜けて、天まで届けましょう。