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校長ブログ

1学期終業礼拝

2017/07/21

暑さの中真っ赤に咲いているバラ

夏休みを迎える圃場(畑)

2017年7月21日(金) 1学期終業礼拝

 讃美歌 420
暗誦聖句 交読文25 詩103篇
聖書  マルコによる福音書16章9から15節
お話  祝福される失敗に
讃美歌 546
祈り  

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 一学期が今日で終わります。私たちは、何のために恵泉で勉強しているのでしょうか。今日は、一つの区切りになります。良い結果が出ていれば、あなたの努力の成果が認められたことになります。思うような結果でなければ、まだあなたには課題があるということになります。
 失敗には、「祝福の失敗」と「呪いの失敗」があります。「祝福の失敗」とは、失敗をそのまま受け入れ、謙虚にその原因を見つけ出し、同じ結果を二度と繰り返さない失敗です。次の成功へとつながる失敗です。失敗が祝福され成功に導かれるのです。
 「呪いの失敗」とは、失敗して自己憐憫(自分を自分でかわいそうに思うこと)になったり、自暴自棄(自分などどうなってもいいと思うこと)になったり、自分の失敗を人や環境のせいにして、貴重な失敗の経験を呪ってしまうことです。この失敗は、国や世界についても当てはまります。恵泉の大切な使命である平和について話さなくてはいけません。
 大変個人的ですが、今日21日の3日前の7月18日は、私の叔父が亡くなった日です。叔父は私の父の二つ下でした。大正9年生まれ(1920年)です。昭和20年7月18日(1945年)に、中国の湖南省零陵(れいりょう)という地で戦死しました。零陵を地図で調べると、香港の北北西500kmのあたりに位置します。戦死というだけで詳しい状況はわかりません。わかっているのは、25歳で、しかも故郷から3000kmも離れた異国の地で、自分の選びではなく、この世の一生を終えたという事実です。私が知っている叔父の姿は、ふるさとの新潟の山を背景にした父と二人で写っているセピア色の写真の姿だけです。
 その7月18日からわずか3週間後、8月6日広島に原子爆弾が落とされました。これは戦争で使われた世界最初の核兵器です。このわずか一つの原子爆弾によって、知られているだけで9万から16万人の人々が亡くなりました。それから3日後の8月9日、今度は長崎に二度目の原子爆弾が投下されました。約15万人の方が亡くなりました。
 1945年8月15日に、太平洋戦争は、日本の敗戦をもって終了しました。来月72回目の終戦記念日を迎えることになります。日本では、この大戦で亡くなった人々は310万人、そして隣国を初めアジアでの犠牲者数は1000万人をくだらないといわれています。死ななくともいい死に方をした人々が1300万人以上もいたのです。現在の東京都の人口と同じくらいです。一人ひとりの掛け替えのない命と人生が奪われたのです。決して忘れてはいけない事実です。
 人が年の順で死んでいくのがまっとうな社会だと思います。しかし、戦争では人が年の順には死んでいかないのです。
 戦後72年を過ぎようとしていますが、この失敗から私たち人間は、何を学んだのでしょうか。
今世界の国々はいくつあると思いますか。196か国です。第二次大戦後に起こされた武力紛争は500件になるといいます。国の数の2倍半という数です。そして、紛争が一度起きると約34000人が難民や避難民となると言われています。1分間で24人の方々です。(2015年の統計)
 2017年6月19日の国連よる報告によれば、難民・避難民は過去最高の6560万人を上回ったといいます。難民は、国境を越えて避難した人たち、避難民は国境を越えられず国内に留まらざるを得ない人たちをさします。
 国際連合の難民問題を扱う機関である難民高等弁務官事務所の弁務官であるフィリッポ・グランディ氏は、今回の統計は依然として各国外交の失敗を物語っていると指摘し、「世界は平和を実現できなくなってしまったようだ」と語りました。
 イギリスの人口が約6600万人ですから、イギリスに匹敵する数の人々が命の保証や身の安全が約束されていないのです。それは、人が年の順に死んでいかない世界です。第二次世界大戦やその後の紛争の結果が残念ながら生かされていないのです。呪いの失敗です。  
 正しい戦争などありません。戦争は、人間を不幸にします。私たちが背負った悲しみや苦しみは、相手の国の人々にもあることを忘れてはいけません。それは、紛争においても同じことです。その視点の欠如が失敗を呪いの失敗としている原因だと思います。
 河井道先生の自伝「わたしのランターン」は、1938年12月インド・マドラス世界宣教大会の記事で終わっています。
「この世には幾日かの間、人には何事もなし遂げられないかのように見える日々がある。(中略)しかし、もしかすると、現在のこの日々がそういう日々かもしれない。しかし、わたしたちには第三日目が当てられていると、わたしたちは信じる。この第三日が、わたしやわたしの仕事のためにさえも、とっておかれるのだと、私は信じている」
 聖書の福音書も「わたしのランターン」もイエス・キリストの復活の記事で終わっている意味は、大変大きいと思います。
 聖書は、世の終わりにある私たちの復活の希望を語ります。河井先生は、絶え間ない時の流れの中にあって、イエス・キリストの復活の力を語ります。厳しい現実の中にあっても、確たる希望を見つける、それが河井先生の信仰です。その信仰によって恵泉女学園は、平和をつくりだす生徒を送り出す学園として創られました。恵泉は、呪いの失敗ではなく、祝福の失敗を願います。
 恵泉生の学びは、神さまから与えられたかけがえのないいのちを知り感謝すること、神さまから示された自分の使命を知ること、そして少しでもそのための準備をすることです。そのためには、努力して今与えられている学びを確かにする必要が有ります。
 ですから夏休みも、勉強が大切です。そして、このことを覚えつつ平和に思いを十分に馳せ、過ごしください。
イザヤ書2章4節をお読みします。
 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。